秩父三十四箇所 第5番札所の語歌堂

秩父三十四箇所第5番札所の語歌堂には慈覚大師作の仏像,准胝観世音菩薩が置かれている。
秩父で寺巡りをする際には訪れたい古刹だが無住なので御朱印をもらいたい場合は長興寺へ向かおう。

秩父三十四箇所 第5番札所の語歌堂

語歌堂 はこんな人におすすめ
・近隣には麦畑が広がっている。のどかな雰囲気を楽しみながら参拝したい人にはオススメ

・珍妙な仏像が見たい

語歌堂 の注意点:
・小川山 語歌堂自体には住職が在住していないため、御朱印は東へ250mほど離れたところにある長興寺でもらうことになっている。(下にGoogleマップあります)

秩父三十四箇所 第5番札所 語歌堂へのアクセス

住所:〒368-0072 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬6119
最寄駅:秩父駅から降りてバス(皆野行き、または定峰行きバスで語歌橋下車)

注意(御朱印について)

無住なので納経所は存在しない。
御朱印をもらいたい場合は長興寺(〒368-0072 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬6086Google Mapがひらきますで書いてもらう。

前の札所「金昌寺」 || 次の札所「卜雲寺

語歌堂の御朱印

語歌堂の御朱印
語歌堂の御朱印画像

小川山 語歌堂のみどころ

山門(仁王門)

武甲山を正面に見ながら、秩父の自然豊かな野良道を進んでで行くと、小さな仁王門が見えてくる。
小川山 語歌堂は長興寺の壇徒であった本間孫八が、慈覚大師の作と言われる観音像を手に入れたことをきっかけに、観音像を安置するために建立したと伝えられているものだ。

仁王像

やたらギョロ目の仁王像。仁王像ってお寺ごとに特色があって面白いよね。

観音堂

これが語歌堂の観音堂。

准胝観世音菩薩が本尊として祀られているのは、西国・坂東・秩父の日本百番観音霊場の中でも、秩父札所五番語歌堂と西国札所十一番上醍醐寺だけという、非常に珍しいケースだ。

慈覚大師の作と伝えられており、長寿や心の迷いを救う功徳があるほか、子返し観音としても知られている。

方三間、亜鉛銅板の宝形造り。二重の垂木が特徴的。表面吹き放しの化粧屋根裏。

准胝観世音菩薩は密教の女性尊であり、准底仏母の別名を持つ。
密教の胎蔵界曼荼羅の蓮華部の仏たちを産み出した、仏の母と言うから、かなりのパワーがあると考えられる。
准胝観世音菩薩を納める観音堂が、語歌堂と名付けられた由縁として、以下のような話が語り継がれている。

梁は海老虹梁。

長興寺の大壇徒であった本間孫八は、詩歌の道を極めたいと精進していた。
そんな折、旅の僧が観音堂を参拝に訪れたと言う。
旅僧が和歌に造詣が深かったことから、本間孫八は僧と二夜を徹して和歌の道を語り合っていたと言うのだ。
そして、明け方近くになると、遂に和歌の奥義を体得したとともに、僧が姿を消していたと言う。
本間孫八はその僧は聖徳太子の化身であったと考え、僧と和歌について語り明かした観音堂を語歌堂と名付けたと言われている。
ちなみに、言い伝えによっては、旅僧は聖徳太子の化身ではなく、救世観音が現れたと言われることもある。

雷神・風神の像

語歌堂には何故か雷神・風神の像が安置されている。

理由は不明。

秩父三十四箇所巡り!徒歩や車で効率的に回るための地図と札所一覧の見どころガイドマップ

小川山 語歌堂 の概要と解説

■小川山 語歌堂 の歴史

長興寺は5世紀の開創と伝えられる古刹だ。
7.2m四方の方形造りで、仁王門を構えた門構えである。
語歌堂と名付けられた観音堂は、本間孫八が建立したと伝えられるが、本間孫八の名は「観音霊験記」にも登場し、長興寺の壇徒だったと記されている。
本間孫八は詩歌を営む風流人で財力にも恵まれていたため、慈覚大師の作と伝えられる准底観世音菩薩を手に入れ、それを納めるべく観音堂を建立した。
建立されたのは江戸時代と言われるが、語歌堂が長興寺の所有物となった時期は明らかでない。
語歌堂が長興寺の境外仏堂として現在地へ移されたのは、享保5年(1720年)という記録がある。
もっとも、現在の観音堂は銅板葺きの宝形造で、江戸時代の文化年間(1804~1818年)に再建されたものだ。
地元出身であった25歳の青年棟梁の処女作として伝えられており、観音堂内の格天井には龍や雀などが描かれ、厨子には准胝観世音菩薩が安置されている。
また、観音堂のわきの小屋には煙火筒が保存されている。
煙火筒がこの場に保管された歴史は、秩父の近代史を語るうえで外せない、明治7年(1884年)に起こった秩父事件だ。
政府に対して武装決起した秩父困民党が、大砲と見せかけて尺玉花火を打ち上げて、政府を脅したといういわれがあり、その煙火筒が歴史的産物として保管されているのである。
また、境内の南西には、明治・大正時代にかけて武甲山御嶽神社の秋季例大祭に、和田河原で打ち上げられていた花火の大筒数本も平成14年まで保管されていた。
小川山 語歌堂 長興寺と花火奉納と語歌地域との結びつきが垣間見られる歴史である。

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