秩父三十四箇所の第2番札所 大棚山 真福寺の御朱印,みどころは観音堂の龍の彫刻

秩父三十四箇所の第2番札所の大棚山 真福寺(おおだなさん しんぷくじ)のみどころは龍の彫刻が彫られた観音堂だ。高條山の中腹から眺めた景色がとても素晴らしく、林の奥深くの苔むした石段や観音堂など秘境感や聖地感が満開なので秩父へ観光で訪れたのなら立ち寄ってほしい場所だ。

秩父三十四箇所の第2番札所 大棚山 真福寺の御朱印,みどころは観音堂の龍の彫刻

真福寺の楽しかったところ
・林の奥深くに静かに佇んでいる観音堂や石仏

真福寺はこんな人におすすめ
・オープンワールドゲームみたいな冒険がしたいひと

・秩父の名刹に行きたい

・関東でお遍路したい

真福寺 へのアクセス

住所:〒368-0004 埼玉県秩父市山田3095

真福寺へのアクセス方法
最寄り駅は大野原駅、もしくは、和銅黒谷駅であるが、駅から徒歩で50~60分はかかるため、長時間歩けるよう準備をしておいたほうが良いだろう。

大棚山 真福寺へ徒歩でアクセスする際には、巡礼道1番札所四萬部寺より、旅館「旅籠一番」の前の道へ入る。
坂を下ったら、定峰川に架かる清水橋を渡る。
のどかな田舎風景が広がる道を通り、さらに杉木立の中の山道へと進んでいく。
山道を登りきると、真福寺にたどり着く。

注意(御朱印について)

無住なので御朱印をもらいたい場合は光明寺(〒368-0004 埼玉県秩父市山田2191Google Mapが開きます)

前の札所「 四萬部寺 」 || 次の札所「 常泉寺

真福寺の御朱印

真福寺の御朱印画像

真福寺のみどころ

高條山の中腹から眺めた景色。

大棚山 真福寺(おおだなざん しんぷくじ)は、曹洞宗のお寺だ。
埼玉県秩父市の東側に位置した場所にあり、標高656mの高篠山の中腹に建てられている。

駐車場は広々としているので特に困ることはない。

参道

削り出したような岩肌。

山中にあるが丁寧に芝刈りがされており参拝は楽。おまけにゴミひとつ落ちてない。秩父三十四箇所の各札所は秩父の町内会の方々が管理運営に協力しているという。
我々が気楽にお遍路できるのもこういった方々のお陰なので感謝しましょう。間違ってもゴミとか捨てないように。

苔むした天然石の石段。

大棚山 真福寺境内入口には、観音堂へと続く石段がある。

石段の途中には石仏や塔などが並んでいる。

登り口の右側に立っているのは、石造りの大棚救世観音だ。
大棚救世観音は、地元の平穏、信者たちの安全を守る存在としてあがめられている。
急な石段を上っていくと、観音堂にたどり着く。

観音堂

というわけで真福寺の観音堂にたどり着いた。

方三間、回廊付き、唐破風様流れ向拝付き、銅瓦葺入母屋造り。

観音堂の周辺は、杉林となっており、自然豊かで、落ち着いた環境となっている。
観音堂の構造は、三間四面の入母屋造りだ。
欄間には、武陽彫工、後藤立斎正道の銘が刻まれた龍の彫刻がある。
観音堂内部には、室町時代の作とされる聖観世音菩薩像が祀られている。
聖観世音菩薩像は、一木造りで、64cmの高さがあるのだ。

この向拝軒下の龍の彫刻がみどころ。

所々の老朽化が進んでいる。

歴代住職卵塔墓

観音堂の右手奥側には、江戸時代の歴代住職たちの墓碑が並んでいる。
現在、大棚山 真福寺は無人の寺となっているため、住職には会うことはできない。
境内や岩の間には、穏やかな表情をしたお地蔵様たちが置かれており、参拝客や巡礼者たちの無事を見守っている。

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大棚山 真福寺の 概要と解説

大棚山 真福寺の歴史

大棚山 真福寺が建てられたのは、9世紀頃だ。

・ 老婆と大棚禅師

この地には、嫉妬の悪念によって夜行鬼となってしまった老婆の話がある。
ある時、大棚禅師が岩屋にこもって参禅をしていると、その老婆が姿を現すようになった。
大棚禅師の観音経によって、老婆は過去を懺悔し、苦しみから救われたと言う。
そして、竹の杖を1本置いて立ち去った。
その老婆のことを哀れに思った大棚禅師が堂を建てたのが、寺の開基だと伝えられている。
寺の周辺には、大棚禅師の名前を冠したとされる大棚川、大棚山などの地名がある。

・ 光明寺の末寺となった真福寺

真福寺は、元々は札所ではなかった。
長享2年(1488年)の秩父札所番付では、秩父札所の中には真福寺が入っていなかったのである。
天文年(1532年~1555年)に、秩父の古刹として知られる光明寺の末寺になったのだ。
光明寺は、大棚川を1.8kmほど下った場所に建てられており、第2番札所の納経所になっている。
真福寺から光明寺へ向かう道には、埼玉県指定天然記念物のキンモクセイがある。
キンモクセイは、樹齢約500年と伝えられており、秋になると芳醇で甘い香りの花を咲かせる。
江戸時代初期には、光明寺の4世である鉄厳禅師が現在地へ真福寺を中興した。
その際に、真言宗から曹洞宗へと改められたと言う。

・ 火災によってほとんど消失

江戸時代の真福寺は、本堂のほか、仁王門、羅漢堂などを備える立派な寺院だったと伝えられている。
しかし、万延元年(1860年)に起こった火災が原因で、建物のほとんどが焼失してしまった。
本尊の聖観世音菩薩像だけは救い出されて、火災から難をのがれることができた。
現在残されている観音堂については、明治41年(1908年)に再建されたものである。
観音堂に施された唐獅子の彫刻、花狭間の窓格子などの意匠は、精巧な造りで見ごたえがある。
中でも、正面向拝の軒下にある龍の彫刻は、迫力があり、見るものを圧倒させる存在だ。

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