秩父 第29番札所 長泉院のみどころは四季の花が彩る境内

秩父三十四箇所の第29番札所 笹戸山 長泉院(ちょうせんいん)のみどころは「花曼荼羅」と言われる境内の庭園。
春には「よみがえりの一本桜」を始めとするソメイヨシノ,八重咲きの紅桜などが咲き乱れ、夏にはツツジやサツキ。秋には紅葉など、花に彩られた風雅な庭園を有している。

秩父 第29番札所 長泉院のみどころは四季の花が彩る境内

長泉院(石札堂)は埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺で、秩父三十四観音霊場の第29番札所だ。
埼玉県秩父市荒川上田野557に位置する。
本尊は聖観世音菩薩だ。
御詠歌は「父母の 恵みも深き 語歌の堂 大慈大悲の 誓いたのもし」である。

笹戸山 長泉院へのアクセス

住所:埼玉県秩父市荒川上田野557−557
最寄駅:浦山口駅
徒歩:約15分

前の札所「橋立堂」 || 次の札所「法雲寺

笹戸山 長泉院のみどころ

参道の入口の左手には「笹戸山長泉禅寺」と刻まれた石碑が立ち、右手には「笹戸山石札道場」と刻まれている。

左手の石碑の後ろには、樹齢130年に及ぶ「よみがえりの一本桜」と呼ばれる枝垂れ桜があり、ソメイヨシノなども植えられているので、春の季節の巡礼をおすすめしたい。

「よみがえりの一本桜」は秩父地方でも有名な名木であり、境内の桜が花開く4月半には「花曼荼羅」と呼ばれる美しい光景が楽しめる。

笹戸山 長泉院の 枯山水

笹戸山 長泉院の 本堂

参道を進み、大きな石灯篭の間を行くと、間口が広い本堂の正面に出る。
本尊の聖観世音菩薩像は藤原時代の慈恵大師の作と伝えらており、像高55cmほどの小さな立像だ

本堂の天井は大間の格天井は、江戸納札会の寄進による納札天井となっている。
千社札を貼ったように見せながらも、実は文字を彫り、黒漆を塗った工夫が凝らされた天井であり、見ごたえがあるものだ。
さらに、堂内の正面には葛飾北斎の作と言われる桜図額も掲げられており、長泉院(石札堂)が古くより、桜が美しい寺であったことが見て取れる

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笹戸山 長泉院の 歴史

長泉院(石札堂)は正暦元年(990年)に飛沼太郎右衛門を開基として、創建されたと伝えられている。
長く無住の観音堂であったが、室町時代後期の元亀二年(1571年)に、現在の皆野町にある大通院より和尚を招き、曹洞宗の寺院となった。
長泉院が石札堂、正式には石札道場と呼ばれている由縁は、秩父札所を開創したとされる性空上人ら十三権者らが、文暦元年(1234年)に秩父を巡錫した折、石札を納めたと伝えられることに由来する。
「石札定置巡礼」と彫られた石札が、寺宝として本尊の前に祀られており、参道の入口の右手には「笹戸山石札道場」と刻まれた石碑が建っている。
観音堂は何と三度の火災に遭い、再建が繰り返されたものだ。
かつての観音堂は、現在の寺の南に500mほどの笹戸山の山頂に近い岸壁下50mの場所に懸崖造りで建っていたと言う。
しかし、火災に遭って焼失してしまったため、江戸時代中期に寺内に移されたのだ。
その後、文化元年(1805年)に再び焼失し、江戸時代後期の天保四年(1833年)に現在の地に場所を移して再建されたのが現存する本堂である。
間口七間半、奥行六間半で、大間の格天井は江戸納札会によって寄進された千社札で構成されており、その意匠は大変に珍しいものだ。
本尊の聖観世音菩薩については、以下のような縁起が語り継がれている。
1300年ほど昔の霊亀・養老年間(715年~724年)に、山麓の淵あたりで、毎夜不思議な灯が見えたと言う。
村人が怪しんで見に行くと、そこには十数人の僧がいた。
僧たちは小笹の茂る岩屋から聖観音像を見つけ出し、そこに堂を建てて安置しようとしていたと言う。
これが長泉院の始まりと伝えられている。
現存の観音堂の堂内正面の欄間には、寺宝である板絵額が掲げられている。
そのうちの1つである「法楽和歌」の板額に描かれている「桜花の図」は、文化八年(1811年)に描かれたものだ。
葛飾北斎五十二歳との署名があり、有名な浮世絵師の葛飾北斎が描いたものと見られる。
爛漫と咲き誇る桜の大枝が匂うばかりの美しさであり、見ごたえがあるだろう。
寺宝としては、江戸明和元年(1764年)に製作されたという香炉をはじめ、地獄極楽江草紙も保存されていると言う。

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