秩父三十四箇所の第1番札所 誦経山 四萬部寺の御朱印,みどころは県文化財指定の本堂

日本百観音霊場を構成する秩父三十四箇所である誦経山 四萬部寺(読み方:ずきょうさん しまぶじ)
第一番札所というだけあって、御朱印帳や白衣などの巡礼用品が購入できる売店なども併設されている。
地図を戴くことも出来るので秩父三十四箇所巡礼を始めるのにピッタリの札所となっている。

秩父三十四箇所の第1番札所 誦経山 四萬部寺の御朱印,みどころは県文化財指定の本堂

第1番札所である誦経山 四萬部寺。みどころは埼玉県の文化財に指定された朱塗りの本堂だ。
山門前には歴史を感じさせる旅館があるなど秩父観光で情緒あふれる思い出をつくるのにピッタリな場所である。

四萬部寺はこんな人におすすめ

・とりあえず秩父で何を観光したら良いのか判らない人
・歴史のある寺院を参拝したい
・東京から近い場所でお遍路したい

四萬部寺へのアクセスは?最寄り駅は?駐車場はあるの?

住所:〒368-0002 埼玉県秩父市栃谷418

最寄り駅は秩父鉄道の大野原駅、もしくは和銅黒谷駅となる。
徒歩だと50分になるが西武鉄道の西武秩父駅の駅前からバスが多く出ているため、バスを利用するならそちらをおすすめする。

徒歩でゆっくり巡礼気分を味わうなら、和銅黒谷駅からのルート(所要50分ほど)をたどり、途中、和銅が採掘された和銅遺跡で日本最古の貨幣とされる和同開珎を見学するのも良い。

四萬部寺に駐車場

四萬部寺はじめ秩父三十四箇所のすべてに無料の駐車場が併設されている。
四萬部寺には広々とした駐車場があるので、参拝者で混んでいない限りは問題なく駐車出来る。

次の札所「 真福寺

四萬部寺の御朱印

四萬部寺の御朱印画像

四萬部寺のみどころ

山門前には歴史を感じさせる旅館がある。旅籠一番という旅館で露天風呂と郷土料理が楽しめる。この日は相方と日帰り旅行だったので泊まらなかったが、ひとりで来たときは利用したいと思う。
山門

歴史を感じさせる山門。切妻造の二脚門。かつては仁王門が存在したが門前の宿が火災にあった際に焼失してしまったそうだ。

境内

本尊である聖観音菩薩は像高3.4mの秘仏であり、午年に開帳されるほかは厨子に収められているため、通常の巡礼者はお前立ちの聖観音を拝観することになる。
昭和32年に実施された学術調査によると、本尊の作は江戸時代とされている。
本堂左奥にはおたすけ観音があり、生命を救い願望を叶えてくれる観音様として信仰を集めているのだ。
本堂右手には施食殿があり、屋根はあるが吹放の開放的な空間に八角形の厨子(八角輪蔵)が置かれている。
この八角輪蔵の内部には地蔵尊が安置されており、七面に施餓鬼者の戒名が刻まれているのだ。

本堂
方三間、勾欄回廊付、唐破風向拝付、正面千鳥破風付、銅瓦葺入母屋造りの朱塗りの本堂。
このコンパクトにまとまったデザインがたまらんね。

本堂は1696(元禄10)年に秩父の名工と謳われた藤田 徳左衛門の作であり、唐破風の向拝を配した銅瓦葺入母屋造りの朱塗りが特徴だ。

秩父札所では唯一の県文化財の指定を受けており、その佇まいはすがすがしい。
天井には狩野常信の弟子である狩野常耀(抱素斎休世常耀益之 ほうそさいきゅうせいじょうようますゆき)が描いた龍画がある。
入堂した際にはこちらも是非じっくりと見上げて拝観したい。

施食殿

四阿風舞台造りで江戸末期に移築されたもの。内部には地蔵尊がある。

お堂では毎年8月に大施食会が催され、餓鬼道で飢え苦しむものに飲食を施し、経を読む法会が開かれる。
誦経山 四萬部寺 (妙音寺)の施食会は500年余の歴史がある伝統行事であり、関東三大施餓鬼にも数えられている。

座禅石

納経蔵
お里がえりのお釈迦様
八躰尊像

この像のうらに寺名の由来となった四万部の経塚がある。

鐘楼

平瓦葺で12本の柱を持つ。金には秩父出身の戦死者千人の名が刻まれている。

水子地蔵

おみくじ引いたら「大吉」だった。まさかの一発目でこんな幸運に恵まれるとは!

なんだか幸先いいぞー

ちなみに相方は「小吉」でした。

秩父三十四箇所巡り!徒歩や車で効率的に回るための地図と札所一覧の見どころガイドマップ

誦経山 四萬部寺 の概要と歴史

四萬部寺とは

この寺は、性空上人(しょうくうしょうにん)の弟子である幻通比丘(げんどうびく)が4万部の仏典を読誦し、経塚を築いたことが名の由来と言われている。曹洞宗の寺であり、ご本尊は聖観音菩薩を祀り、その立像は江戸時代の作で立像一木造りである。
通常本尊は逗子に納められており、拝観できるのは前立本尊のみとなっている。

四萬部寺の楽しかったところ

境内はもちろん、周辺の旅館や山々が歴史を感じさせる

誦経山 四萬部寺 の歴史

この寺は、10世紀後半ごろに創建されたと言われる。
先にも触れたが、性空上人の命により弟子の幻通比丘が秩父の地を訪れ、4万部にものぼる経典を読経し経塚を築いたとされる。
性空上人は西国三十三観音霊場である書写山圓教寺を開いた高僧だが、寛弘4年(1007)3月4日、播磨国の書写山(圓教寺)で弟子の幻通比丘に遺命を遺しているのだ。
その内容は、「武蔵国秩父に行基による開基の観音があるが、知られる機会がないまま衰退してしまった。私が布教に出かけて行きたいがもはや臨終に及んでいるので志をはたせない。そこで、私の代わりに秩父一に行き、人々を教化済度し、霊跡の復興に勤めなさい」というものだった。
幻通比丘は師の遺命に従い、読経し供養塚を建て人々に仏の教えを広めたのだ。
その教えから功徳を授かる者が多く、今日に続く信仰が広まったとされている。

この記事が面白かったらフォローお願いします!
NO IMAGE