秩父 第28番札所 橋立堂のみどころは馬頭観音

秩父三十四箇所の第28番札所 石龍山 橋立堂(はしだてどう)奥の院を兼ねた鍾乳洞も珍しいが、個人的な見どころは鎌倉時代作の馬頭観世音。

秩父三十四箇所の第28番札所 橋立堂のみどころは馬頭観世音

馬頭観世音を本尊とする札所は大変珍しく、日本百観音霊場の中でも、石龍山橋立堂と西国第二十九番・青葉山松尾寺のみであり、坂東札所では一つも存在していない。

観音堂の横には橋立鍾乳洞があり、見学路の入り口もある。
見学路の総延長は約140m、一番低い地点から高い地点までの高低差が約30mもある、巨大な鍾乳洞だ。
石龍山橋立堂は鍾乳洞も含めて、昔から胎内くぐりの霊場として人気の巡礼地であったと言う。
冬場は凍るような場所で危険も伴うことから、12月第二月曜日~2月末日までの間は、御朱印は27番札所で行われるため注意。

橋立堂へのアクセス

住所:埼玉県秩父市上影森675
最寄駅:浦山口駅
徒歩:約10分

石龍山橋立堂は埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺で、秩父三十四観音霊場の第28番札所だ。
埼玉県秩父市上影森675に位置する。本尊は馬頭観世音菩薩だ。
御詠歌は「霧の海 たち重なるは 雲の海 たぐいあらじと わたる橋立」である。

前の札所「大淵寺」 || 次の札所「長泉院

石龍山 橋立堂のみどころ

石龍山橋立堂は武甲山の西の麓に位置し、石灰岩の巨大な岩壁の下に建立された、立地に驚く札所だ。

秩父鉄道の浦山口駅から、足を進めると、そそり立った岩壁が目に入ってくる。

石龍山 橋立堂の奥の院(橋立鍾乳洞)

石龍山 橋立堂には橋立鍾乳洞があり、埼玉県の天然記念物に指定されており、多くの見学客が訪れる。
橋立鍾乳洞は石龍山橋立堂と切り離せない関係であり、札所の奥の院にあたるのだ。

石龍山 橋立堂の観音堂

石龍山 橋立堂の観音堂は縁を回した方形屋根朱塗りが印象的である。
さらに圧倒されるのは、堂には高さ80mとも言われる、切り立った岩壁が覆いかぶさるように迫っている点だ。

全国的に見てもほかには類を見ない、鍾乳洞を有する岩壁と一体化したような観音堂は、江戸時代中期の建築と言われている。

そして、観音堂内には鎌倉時代の作される本尊の馬頭観世音が安置されているのだ。

石龍山橋立堂の馬頭観世音は約26cmと小さな像だが、鎌倉時代の歴史ある作品であり、秩父市の文化財に指定されている。
観音堂の右手には馬堂があり、左甚五郎作という二頭の馬の木像が安置されている。

馬頭観世音は馬の守り観音や交通の安全のご利益があると、古くより信仰されてきた。

その昔は、馬は農耕馬として農作業に用いられるとともに、唯一の交通手段として重宝されてきたのだ。
馬がメインの乗り物だった時代には、石龍山橋立堂の縁日に馬を引いて参詣する人で賑わったと言われている。

馬から車へと変わった現在でも、馬を飼う人をはじめ、交通安全祈願のために御札を授かりに訪れる人は多い。

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石龍山橋立堂の歴史

石龍山橋立堂を語るうえで、鍾乳洞の存在は切っても切り離せない。
この岩壁の誕生は約2億年前にさかのぼると言う。
5,000km以上も離れた南洋の火山島の周囲で成長したサンゴ礁が、海洋プレートとともに移動してきて、海溝で大陸プレートに押し付けられたり押し上げられたりして形成されたと分析されている。
数万年前に橋立川の侵食によって、切り立った岩壁の下がえぐられた形になったと言う。
この場所からは、縄文時代草創期から古墳時代の遺跡も発掘された。
押型文の土器片や貝飾りをはじめ、弥生土器なども発見されており、「岩かげ遺跡」として、秩父市の指定史跡になっている。
橋立鍾乳洞は珍しい縦穴型をしており、2億年もの歴史を持つ岩壁を背にして、石龍山橋立堂が建てられている。
江戸時代に記された「観音霊験記」によれば、村の領主であった郡司が悪竜になってしまい、人や馬を食べて村人を困らせていたと言う。
そこで、村人が石龍山橋立堂に祈念したところ、堂の中から白馬が現れ、悪竜に飲み込まれたと言うのだ。
白馬を飲み込んだ悪竜は悟りを得て、鍾乳洞内の石となったと言う。

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