秩父三十四箇所第24番札所 光智山 法泉寺は観音堂と山門が一体になっているのが特徴

秩父三十四箇所の第24番札所 光智山 法泉寺(ほうせんじ)116段ある石段を登った先から見える秩父の景色がとても良い。特徴的なのは観音堂と山門が一体になっていること。
観音堂の全面が山門の形になっており、左右に張り出した小部屋に仁王像が配置されたもの。江戸中期の建築とされている。

秩父三十四箇所第24番札所 光智山 法泉寺は観音堂と山門が一体になっているのが特徴

光智山 法泉寺は埼玉県秩父市にある臨済宗南禅寺派の寺で、秩父三十四観音霊場の第24番札所だ。
埼玉県秩父市別所1586(電話0494-23-0943)に位置する。
本尊は聖観世音菩薩だ。
御詠歌は「天照らす 神の母祖の 色かへて なおもふりぬる 雪の白山」である。

光智山 法泉寺へのアクセス

住所:〒368-0054 埼玉県秩父市別所1586
最寄駅:西武鉄道影森駅下車
徒歩:約30分

前の札所「音楽寺」 || 次の札所「久晶寺

光智山 法泉寺のみどころ

階段

光智山 法泉寺の札所を巡るには、116段の急な石段を登らねばならない。
すでに幾つかの札所を巡った後での巡礼となると、この石段を登らねばならないのかと辛くなるかもしれない。

実際に数えていくと、実は117段あるが、一番上の段は観音の霊地であるので、116段として数える。

階段を登り切れば、観音堂はすぐ正面にあるので頑張って登っていこう。

高い場所にあるお堂は、鬱蒼とした樹木に囲まれた場所に位置する。

観音堂

三間四面、方形造り茅葺であったが、屋根は改修されている。
観音堂は江戸中期の建築であり、左右が凹形に張り出し、仁王像が厨子に納められるなど、随所に変化のある意匠をこらした唐様であり、工匠の技と苦心の跡が見てとれるだろう。

堂の柱がすべて八角柱で仁王尊をまつり込まれており、仁王門がない代わりに、仁王門と観音堂を一宇とした造りとなっており、ほかに類を見ない珍しいお堂なのである。

本尊の聖観世音菩薩は寺暦では、天照大御神の作とあるが、実際は室町時代の作だ。
一木造りの蓮華座に坐した坐像で像高25cm、室町末期に見られる宗朝風の作風である。

舟形光背をって胡粉彩色を施し、袈裟には切箔をおいた宗朝風の神々しい姿は一見の価値がある。
もっとも、聖観世音菩薩は秘仏とされており、前立のみ拝観が可能だ。

光智山 法泉寺では年に一度、檀家や地元の人が集まる廻り念仏という行事が執り行われる。
4月18日の観音様の縁日に行われる、地域で人気のイベントだ。
地元の人を中心に輪になって座り、108の珠を連ねた10m程の大数珠を人々が念仏を唱えつつ回していくという、大数珠廻しである。

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光智山 法泉寺の歴史

光智山 法泉寺の創建年代は定かではないが、縁起によれば、奈良時代の養老7年(723年)に、今で言う北陸地方の越中立山や加賀白山を中心に活躍していた修験僧の越の大徳こと泰澄大師(767年没)がこの地にやってきたことがきっかけと伝わっている。
ある夜、気高き姫神が天より降臨した。
枯木を三段に伐って本と未で山神を祀り、真中の部分で聖観世音を刻したところ、「我は日の神なり」と名乗ったと言う。
すると、さらに三柱の神が現れ、真中の神が「我は山の奥に住む白山姫の神である」と名乗ったそうだ。
泰澄大師はこの毘盧遮那仏の仏勅に従い、加賀の白山の神を秩父の地に勧請し、観音像を安置したのが、光智山 法泉寺の始まりと言われている。
聖観世音菩薩が天照大御神の作と寺暦に記されたのも、これが経緯と考えられている。
毘盧遮那という言葉は輝き渡るものという意味であり、輝き渡る日の神、すなわち、天照大御神によって本尊が造られたのだというわけだ。
白山の神を勧請したところ、伊勢信仰にまつわる天照大神が本尊を造ったというくだりは、伊勢信仰と白山信仰が融合した発想である。
御詠歌にもそれが表現されており、最初の「天照らす」と最後の「雪の白山」のフレーズに表れている。
そのため、光智山 法泉寺の聖観音は白山観音とも呼ばれており、病気治癒の祈願に訪れる人が多い。
病気治癒の観音となったのは、別の言い伝えがある。
武州恋が窪の慈悲深い遊女が、光智山 法泉寺の観音様を篤く信仰していた。
たまたま口内の痛みに悩んでいた折、修行人から一本の楊枝をもらい、口内を漱いだところ、痛みがなくなったと言うのだ。
この伝説から、口内の痛みに霊験ありとして、光智山 法泉寺では痛みを除くご利益のあるお守り楊枝を授与している。

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