ミュージシャンがヒット祈願に訪れる秩父三十四箇所の第23番 松風山 音楽寺

秩父三十四観音霊場の第23番札所,松風山音楽寺。その脇には秩父ミューズパークも造られたこともあり、音楽を志す人がデビュー祈願やヒット祈願に訪れることでも知られている。

かなりの広さをほこる境内には桜の木があり、春は花見客でも賑わう、秩父の桜の名所の一つとなっている。春は桜に新緑、ツツジ、秋は紅葉に月、冬は雪と、秩父屈指の景観を誇る美しい寺となっている。

森林浴やハイキングなどにオススメしたい自然に溢れた場所である。

ミュージシャンがヒット祈願に訪れる秩父三十四箇所第23番 松風山 音楽寺

松風山音楽寺は埼玉県秩父市にある臨済宗南禅寺派の寺で、埼玉県秩父市寺尾3773に位置する。
本尊は聖観世音菩薩。


御詠歌は「音楽の 御声なりけり 小鹿坂の 調べにかよう 峰の松風」である。

松風山 音楽寺へのアクセス

住所: 埼玉県秩父市寺尾3773
最寄駅:秩父鉄道秩父駅より徒歩60分なのでタクシー推奨。

前の札所「童子堂」 || 次の札所「法泉寺

松風山 音楽寺のみどころ

音楽寺と聞くと今時の名前に思われるが、決して最近作られた寺ではない。
秩父札所を開創した十三人権者がこの山の松風の音を聴き、菩薩の奏でる音楽だと感じ入ったからだとされている。

山道

六地蔵

境内には六地蔵が安置されている。
人は死後、六道といって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界を輪廻すると説かれている。
六地蔵は、それぞれの世界の人を救ってくれるご利益が得られるものだ。

梵鐘

堂前の梵鐘は高さ120cm、直径69.7cmで、鐘身の上方に108個の乳頭が彫られ、下部には聖観音、不空羂索観音、十一面観音、如意輪観音、千手観音、馬頭観音の六観音像が浮き彫りされており、秩父市の文化財に指定されている。
見た目も美しく立派だが、高音の美しい音がして、まさに音楽堂の名にふさわしい。

観音堂

観音堂は三間四面、吹寄せ二重垂木、銅板葺きの方形造りで、三方に勾欄つきの浜縁が巡らされている。

回廊の幅が広く、柱間も広いので、他の札所の観音堂より一回り大きく感じる。

本尊は桧の一木造りで像高81cm、室町時代の作だ。

十三権者の石仏

観音堂の裏にある山道を進んでいくと「十三権者の石仏」と書かれた看板が出てくる。

十三権者とは秩父札所を開いた13人の権者(菩薩の化身,あるいは学芸や徳に優れた人物)のこと。文暦元年に播磨の性空上人らが飛び去った観音経を追って秩父郡内に入り,この小鹿坂峠にて経文を発見したという。これによって13人の権者らは秩父観音霊場を定めたという。

これらの地蔵尊が十三権者をあらわしている。

秩父三十四箇所巡り!徒歩や車で効率的に回るための地図と札所一覧の見どころガイドマップ

松風山音楽寺の歴史

慈覚大師は悩める人々を救済したいと考え、秩父札所23番寺を造るために、新たな札所の場所を探していたと言う。
場所を探して山へ登り始めたものの、道に迷って困っていた折、一頭の小鹿が現れ、慈覚大師をこの地に導いたという話がある。
また、霊験記によれば、畠山基国の家来だった内山源蔵が出陣の際、老母に手渡された音楽寺の守仏の御影を懐中に入れていたところ、無事に勝利した。
そして、後に出家して観音を供養したとの言い伝えがある。
秩父市の文化財に指定された梵鐘は、明和5年(1768年)に鋳造されたもので、明治17年に起こった秩父事件で合図として利用された歴史を持つ。
秩父事件とは経済的に困窮した農民らが、当時の悪徳高利貸しや政府に対して不満を持ち、農民一揆を起こした事件で、日本史上、最大規模と言われている。
明治17年(1884年)11月1日、旧吉田村の椋神社に3000余名が集まって武装蜂起し、翌2日には小鹿坂峠を越えて音楽寺境内に集結した。
そして、梵鐘を乱打して合図を送ると、一気に大宮郷(現・秩父市内)へ乱入したという事件だ。
明治17年(1884年)11月1日の夜、西秩父の一角に、困窮した農民が武装して集まり、困民党として蜂起した。
実際の蜂起参加者は最盛時で8,000人とも10,000人とも言われるが、定かではない。
秩父事件後に有罪判決を受けた者が3,390余人おり、最高幹部は死刑や無期懲役となっている。
多くの死者も出しており、松風山音楽寺の梵鐘の脇には困民党決起100年の昭和53年11月2日に秩父困民党無名戦士の墓が建てられた。
碑には「われら秩父困民党、暴徒と呼ばれ暴動と言われることを拒否しない」との刻印がある。

この記事が面白かったらフォローお願いします!
NO IMAGE