秩父三十四箇所の第30番札所 瑞龍山 法雲寺(ほううんじ)は木々の緑が映える美しい場所となっている。秩父鉄道の白久駅から熊倉山への登山道や谷津川の渓流も一緒に楽しみながら参拝したい。
秩父 第30番札所 法雲寺のみどころは花と緑に包まれた境内
瑞龍山 法雲寺は埼玉県秩父市にある臨済宗建長寺派の寺で、秩父三十四観音霊場の第30番札所だ。
埼玉県秩父市荒川白久432に位置する。
本尊は如意輪観世音菩薩だ。
御詠歌は「一心に 南無観音と 唱ふれば 慈悲深か谷の 誓ひたのもし」である。
法雲寺へのアクセス
住所:埼玉県秩父市荒川白久432
最寄駅:白久駅
徒歩:約15分
瑞龍山 法雲寺のみどころ
白久駅から谷津川の流れに沿って進むと、豊かな自然が広がっている。
三十番入口と刻まれた門柱が立っているので、そこを進んでいこう。
般若山 宝性寺の 庭園
美しい庭園を通り、石段を登っていくと、回廊を巡らした華やかさをたたえる朱色の観音堂が見えてくる。
般若山 宝性寺の 観音堂
瑞龍山 法雲寺は観音堂手前にある庭が美しく、四季折々のさまざまな花木を楽しむこともできる。
庭をめでつつ、向かって右手に納経所があり、御朱印をいただける。
般若山 宝性寺の 観音堂
堂は六間四面で、回廊を巡らしたものだが、本尊は秘仏であり、残念ながら、通常は厨子の扉は閉ざされている。
ただし、牛歳総開帳の折と毎年4月18日の縁日には開帳されるので、ご本尊を見たい方は年に一度の縁日の日に足を運ぼう。
享保年間に改築され寛永期に回廊が追加された朱色の観音堂。20番の岩之上堂と共に秩父では最古級の観音堂となっている。
寺宝には竜の骨や楊貴妃の鏡,天狗の爪など伝説の域を出ないものが多いが、中世の納札など貴重なものも多い。
本尊である如意輪観世音は、元応元年(1319年)に、建長寺の道隠禅師が唐より奉持したと伝えられ、秩父札所では珍しい中国よりやってきた海外製の仏像である。
しかも、歴史上も名高い楊貴妃と由縁がある。
唐の玄宗皇帝が、楊貴妃の菩提を弔うために自ら彫刻したと言い伝えられているのだ。
玄宗が彫刻した仏像を、不空三蔵が開眼し、はるばる秩父の地へとやってきたと言うのだから、ぜひとも見てみたい。
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瑞龍山 法雲寺の歴史
瑞龍山 法雲寺の開山は、鎌倉の本山である建長寺の十九世、道陰物恵禅師と伝えられている。
道陰物恵禅師は日本人ではなく、中国の僧と伝えられており、正中2年(1325年)に亡くなられている人物だ。
瑞龍山 法雲寺の本尊の如意輪観世音は、唐の玄宗皇帝が楊貴妃の菩提を弔うため自ら彫刻して、不空三蔵が開眼した仏像を、元応元年(1319年)に道隠禅師が唐より奉持して建長寺に納めたとされている。
そのため、瑞龍山 法雲寺の本尊の如意輪観世音は別名を楊貴妃観音と呼ばれることもある。
瑞龍山 法雲寺に飾られている錦絵にも、絶世の美女と呼ばれる楊貴妃の姿があでやかに描かれている。
ある時、愛知県にある熱田神宮の神官のもとに美女が鏡を持って現れたと言う。
その美女は「この鏡を武蔵の国秩父深谷に奉納せよ。如意輪観音の霊言があるであろう」と神官に伝えて、その鏡を託したと言うのだ。
その美女こそ、8世紀唐の時代に玄宗皇帝の妃となり、安禄山の乱で命を落とした楊貴妃だったと伝えられている。
神官は鏡を深谷の地の1人の翁に託し、その地に瑞龍山 法雲寺が建立されたとの言い伝えも残されている。
瑞龍山 法雲寺には珍しい寺宝が3つ残されており、秘仏とは異なり、観音堂の正面左側のガラスケースで常時見ることが可能だ。
寺宝は言い伝えに残る楊貴妃の鏡と、龍の骨、天狗の爪となっている。
いずれにしても、瑞龍山 法雲寺の縁起は楊貴妃との関係が深い。
そのため、絵馬にも楊貴妃が美しく描かれているので、御朱印を受け取るだけでなく、絵馬もチェックしておこう。
また、瑞龍山 法雲寺の縁起によれば、元和元年(1615年)には深谷堂と呼ばれる観音堂をはじめ、別当である本堂・礼堂・仁王門なども備わっていたが、嘉永年間(1849年頃)の火災により、観音堂のみを残して焼失したらしい。
一方、瑞龍山 法雲寺には古い納札が寺宝として残されており、秩父札所をはじめ、日本百番観音霊場の成立を知るための貴重な史料として歴史的に珍重されている点も見逃せない。
納札は6点あり、それぞれ、享禄四年(1531年)、天文五年(1536年)、天文八年(1539年)、天文十三年(1544年)、天文二十四年(1555年)と刻まれている。
天文五年(1536年)の納札には、「百ヶ所巡礼」と刻まれている点が注目されている。
もともとは33ヶ所だった秩父札所が、その頃に寺が追加されて、現在と同じ34ヶ所になった。
秩父札所に1つの寺がプラスされたことで、天文五年(1536年)に日本百番観音が成立したと史実上考えられるのだ。