秩父の第17番札所 定林寺のみどころは百観音の梵鐘

秩父三十四箇所の第17番札所 定林寺は「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の聖地として知られる。そんな定林寺の見どころは、百観音の梵鐘である。 西国、坂東、秩父百観音のご本尊が浮き彫りにされ、各寺院の御詠歌が刻まれている。

秩父の第17番札所 定林寺のみどころは百観音の梵鐘

実正山 定林寺は埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺で、秩父三十四観音霊場の第17番札所だ。
埼玉県秩父市桜木町21-3(電話0494-22-6857)に位置する。
本尊は十一面観世音菩薩だ。
御詠歌は「あらましを 思い定めし 林寺 かねききあへづ ゆめぞさめける」である。

実正山 定林寺へのアクセス

住所:〒368-0025 埼玉県秩父市桜木町21−3
最寄駅:西武秩父駅より小鹿野車庫行きバス 十七番入り口下車
徒歩:約5分

前の札所「西光寺」 || 次の札所「神門寺

実正山 定林寺のみどころ

やや市街地から離れた野寺の趣が深い寺であり、別称を林寺と言い、林家の持寺として開創された歴史を持つ。

観音堂

やや市街地から離れた場所にある趣を感じる札所。
観音堂は方形屋根で四間四面で1mほどの土壇の上に建ち、吹放しの回廊となっている。
正面の欄間に刻まれた左右の花鳥図透かし彫りが美しい。

内陣は前と左右が扉で囲まれており、念仏回廊を有している。

安政時代の徳行家、井上如常の父である青岳の描いた狩野風な絵なども飾られている。

本尊は像高55cmほど、寄木造りの十一面観世音立像だ。

百観音の梵鐘

本堂手前にある鐘楼の梵鐘は大変珍しい仕様で、西国、坂東、秩父百観音のご本尊が浮き彫りにされ、各寺院の御詠歌が刻まれているのだ。
その工芸としての美しさから、昭和39年3月に埼玉県指定有形文化財に指定されているほか、鐘の音の素晴らしさで秩父三名鐘の1つに数えられている。
梵鐘にはユニークなご利益もあり、お参り前に鐘をつくとお金が入ってくるとされ、「入りかね」として親しまれている。

実正山 定林寺は郊外にあるものの、フジテレビ系のアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の舞台となり、アニメの中には札所入口前の坂道や近くにあるけやき公園なども登場した。
この影響で、最近は若い参拝者も増え、納経所ではアニメのイラストが入った絵馬も販売されている。

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実正山 定林寺の歴史

創建年代は明らかでないが、次のような言い伝えが残されている。
林太郎定元は壬生の良門の家臣であり、主君の無道を諫めたと言う。
すると、主君に追放されてしまい、流浪の憂き目に遭い、その結果、秩父のこの地で林太郎定元夫妻が亡くなったと言うのだ。

夫妻にはまだ幼い赤ちゃんがいて、孤児となった夫妻の子を養った沙門空照は夫妻の菩提を弔うために一宇を建立して、定林寺と号した。
もう1つの説として、孤児となった空然が、この地で成長し、成人してから、父の菩提のために、定林寺を建立したとも言われる。

いずれにしても、林夫妻の弔いがきっかけとなったことから、林寺と通称されるようになった。
実正山 定林寺は現在は17番札所であるが、埼玉県指定文化財でもある「長享の秩父札所番付」には札所一番と記されている。
32番札所の寺宝でもあり、室町時代に作成された「長享二年(1488年)秩父札所番付」によると、当時は札所が33ヶ寺で、実正山 定林寺が1番札所だった書かれているのだ。
創建時は秩父大宮妙見宮、現在の秩父神社の近くにあったことから、妙見宮をお参りしてから、札所巡りを始めたらしい。
その後、江戸時代後期に現在の場所に移されるとともに、真福寺が加わり34ヶ寺になった以降、現在の順番に改められたと言う。

本尊は十一面観世音立像であるが、他の十一面観世音坐像のひざ裏には広木池之坊、願主武州国郡法印元暁、天正21年(1593年)癸巳3月23日開眼という墨書があり、仏像も歴史あるものであることがわかる。
実正山 定林寺で有名な梵鐘は、江戸初期の火災で本堂とともに焼失しており、現在の梵鐘には宝暦8年(1758年)戊寅正月16日の銘があり、その時に再鋳されたものだ。
梵鐘にはこんな言い伝えが残されている。
身重の婦人が秩父巡礼に訪れ、この地で出産した。
女性は何か事情があったようで、赤子の始末に困って赤子を捨ててしまう。
しかし、帰宅すると、捨てたはずの赤ん坊が土間にいたと言うのだ。
林寺が林夫妻の孤児が無事に成長した歴史を持ち、梵鐘の言い伝えなどもあり、本尊は子育て観音として知られ、4月8日は観音縁日で賑わいを見せている。

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