秩父三十四箇所第14番札所 長岳山 今宮坊(いまみやぼう)は修験道の歴史を残す観音堂だ。ここは秩父札所信仰にも深い関係がある修験道場の大宗、今宮坊であったものであり、観音堂はその遺構の一つだ。
秩父の第14番札所 今宮坊のみどころは修験道の歴史を残す観音堂
今宮坊は江戸時代は修験道の中心的存在であった。神仏混淆の象徴のような場所であり、かつては秩父市内には十ヶ所以上の修験道場があったという。
御詠歌は「昔より 立つとも知らぬ 今宮に 参る心は 浄土なるらん」である。
秩父 第14番札所 今宮坊へのアクセス
住所:埼玉県秩父市中町25-12
最寄駅:秩父鉄道御花畑駅
徒歩:約10分
長岳山 今宮坊のみどころ
商店街に掲げられた札所十四番の横断幕。街そのもので札所を盛り上げてる感じが良いなあ。
秩父の賑わいのある目抜き通りから坂を下ると、大きな欅が見えてくる。
そこに、三間四面の立派な観音堂が鎮座している。
観音堂
祀られている本尊の聖観世音菩薩は弘法大師作と言われており、木彫漆箔置きで約57.6cmの半跏趺坐像であることから、雲中出現の像とも呼ばれる。
寺の掲示板には武田信玄のイラストが掲げられているが、これはとある言い伝えがあるからだ。
武田軍が秩父へ攻めこんだ折、武田信玄の家臣である山県旗下の石原宮内が信玄の勘気に触れてしまい、切腹を命ぜられたと言う。
そこで、石原宮内が観音堂に籠って夜を徹して観音様に祈りを続けていたところ、切腹直前に早馬が来て信玄公にお許しを得たと言うのだ。
本堂には本尊のほか、藤原時代後期の作と伝えられる飛天像も安置されており、秩父市の指定文化財となっている。
飛天像は高さ30.3cmの欅の一木造で、平安時代初期に作られた優れた作品だ。
跪座して雲に乗るスタイルで、金箔押し蓮華を有している。
飛天像は、秩父札所の中でもかなり異色の仏像であり、一見の価値がある。
境内には勢至菩薩堂をはじめ、信者が子供の無事成長や無病息災を願って奉納した延命地蔵の小堂があり、裏手には庚申塔がある。
役行者が701年(大宝元年)に境内にあった池に、仏法を守り、水を司る神として八大龍王を祀ったと言い伝えがあり、今宮神社は八大宮と呼ばれることがある。
今宮神社の境内には埼玉県の天然記念物にも指定されている、樹齢500年余の駒つなぎの欅がそびえ、そのたもとには聖徳太子像がある。
樹高25.4m、枝張り34.3m、目通り8.7mという欅の姿は圧巻だ。なお、14番札所の手前には長岳山 今宮坊と歴史的に関連の深い今宮神社があり、龍神様が祀られているのだ。
札所の巡礼者は八大宮と呼ばれる今宮神社をお参りした後に、参道を通って隣接する今宮坊の札所14番観音をお詣りするのを通例としていた。
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長岳山 今宮坊の歴史
長岳山 今宮坊は、長岳(永観2年~984年没)が大宮山満光寺と号して創建したのが始まりとされ、その後、長岳山正覚院金剛寺と改められた修験寺院としての歴史を持つ。
修験道の総本山として有名な京都・聖護院の直末として繁栄し、橋立堂(現28番)や神戸山長生院(現18番)は金剛寺の末寺であり、修験道の道場として栄えてきた。
明治時代に至るまで、今宮房は隣接する今宮神社と神仏習合の寺院であった。
今宮神社は大宝年間に役行者が水を司る神である八大龍王を祀ったのが起源とされ、巡礼者はまずこの池で身を浄めてから札所めぐりをしたと言う。
今宮房の観音堂は江戸時代の建立とされるが、現在の姿からは想像できないほど、境内は広大であったとされる。
現在の観音堂は、宝永6年(1709年)に再建されたものである。
明治維新の後、神仏分離令により修験は廃止となってしまう。
神仏分離令の影響で、今宮坊の観音堂は今宮神社と分離されることになった。
今宮坊は、現在は臨済宗南禅寺派の寺院となっており、御朱印は観音堂の脇の納経所で受け取れる。