秩父三十四箇所の第7番札所である青苔山 法長寺。みどころは平賀源内が設計した本堂だ。
江戸の科学者として歴史的にも有名な平賀源内が鉱山開発のために永く滞在していた地として知られているが、 本堂は平賀源内の原図を元に設計されたと伝えられている。
秩父三十四箇所の第7番札所 法長寺のみどころは平賀源内が設計した本堂
青苔山 法長寺 (牛伏堂)は埼玉県秩父郡にある曹洞宗の寺で、秩父三十四観音霊場の第7番札所だ。
埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬1508番地に位置する。
本尊は十一面観世音菩薩だ。
御詠歌は「六道を 兼ねて巡りて 拝むべし 又後の世を 聞くも牛伏」である。
青苔山 法長寺はこんな人におすすめ
・平賀源内ゆかりの地をまわりたい人
秩父三十四箇所 第7番札所 法長寺へのアクセス
住所:〒368-0072 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬1508
最寄駅:西武池袋線横瀬駅
徒歩:約20分
法長寺の御朱印
青苔山 法長寺のみどころ
本堂
平賀源内の原図をもとに設計されたと言われる、美しい本堂が建っており、その姿は堂々たるものだ。
本尊は十一面観世音菩薩は、観音堂が天明二年(1782年)の火災で消失してしまったことから、本堂の奥に安置されている。
石牛
青苔山 法長寺が牛伏堂と呼ばれるようになった所以は、諸説ある。
よく語り継がれている説は、以下のような話だ。
ある日、牧童が草刈りをしていると一頭の牛が現れ、地に伏して動かなくなったと言うのだ。
微動だにしない牛であったが、一夜が明けると、もはや、牛の姿はなく、代わりに十一面観音像があったと言う。
そこで、その牛が十一面観音の化身であったのだろうと村人たちは考え、観音像を納める観音堂を牛伏堂と名付けたという話だ。
山門
横瀬の民家の間を抜けていくと、山門が見えてくる。
山門には「不許葷酒入山門」の石柱が立っているのも見逃せない。
これは、酒は心を乱すので、清浄な寺内に入ることは許されないとの意味だ。
観音像
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青苔山 法長寺 (牛伏堂)の由来と歴史
牛伏堂の由来と平将門
牛伏堂の名前の由来となったもうひとつの説が平将門に由来するもの。
花園左エ門という人の家来が、平将門と戦って敗れ、この地で亡くなったと言うのだ。
やがて、天慶の乱が終わり、世の中が穏やかになると、命を落とした家来の妻が夫が亡くなった地を訪れたと言う。
すると、妻の夢枕に夫が現れ、「将門と戦って亡くなった後、今は、村のある家の牛の子として生まれて苦しんでいる」と告げたと言う。
夫が牛に生まれ変わって苦しんでいると知った妻は、すぐに出家し、尼となって観音様にお仕えしたと言うのだ。
妻の功徳により、牛となった夫の苦しみがなくなったというのである。
この妻と牛の話が牛伏堂の名前の由来となったという説である。
青苔山 法長寺 (牛伏堂)の歴史
法長寺は青苔山と号し、開山は凉堂寒清大和尚で、慶長11年(1606年)に亡くなった人物だ。
開基は内田家2代図書頭重賢で、内田家は北條氏邦が婿養子に入った藤田の家系と伝えられている。
本尊の十一面観世音菩薩は牛の化身であるなど諸説あるが、行基の作とも言われる。
観音堂は当初、根古屋3区の牛伏という地名の場所にあり、天明2年(1782年)に発生した災害により、別当寺の法長寺本堂に移された経緯があり、これが牛伏堂という名称のいわれとも言えよう。
平賀源内設計とされる秩父札所最大級の本堂の内部、正面の欄間には、四国札所八十六番志度寺の縁起玉取り物語の彫刻が彫られており、堂内の左右には座敷書院が配されている。
内陣の周囲には極彩色の彫刻欄間、格天井には花鳥が描かれているという、絢爛豪華で緻密な設計も見逃せない。
青苔山 法長寺 (牛伏堂)は昭和48年1月31日に横瀬町の町指定史跡指定されており、法長寺には町指定文化財である「紙本着色涅槃図」が所蔵されている。