秩父三十四箇所の第16番札所 無量山 西光寺。禅宗が多い秩父札所の中では非常に稀な真言密教寺院であり、唯一、札堂を有している点も珍しく、札堂は秩父最古の歴史を持つ。
みどころは四国八十八ヶ所の諸仏を安置する回廊堂だ。ほかの札所にはない特徴を持ち、巡礼者にも人気の高い札所である。
秩父の第16番札所 西光寺のみどころは四国八十八ヶ所の回廊堂
無量山 西光寺は埼玉県秩父市にある真言宗豊山派の寺で、秩父三十四観音霊場の第16番札所だ。
埼玉県秩父市中村町4-8-21に位置する。
本尊は千手面観世音菩薩だ。
御詠歌は「西光寺 誓いを人に 尋ぬれば ついの住家は 西とこそ聞け」である。
西光寺へのアクセス
住所:埼玉県秩父市中村町4-8-21
最寄駅:秩父鉄道秩父駅
徒歩:約15分
第16番札所 無量山 西光寺のみどころ
山門
本堂
山門をくぐると正面に寄棟の大きな本堂があり、正面の欄間には釈迦の涅槃像を中心に天女や動物が刻まれ、左右の二面には5人ずつの釈迦十大弟子が師の入滅を悲しんでいる姿の繊細な彫刻が刻まれている。
本尊は行基作と伝えられる千手面観世音菩薩を中心に、非常に珍しい寄木造り八面八臂の三宝荒神像などの仏像なども安置されているのが見逃せない。
千手面観世音菩薩については、以下のような伝説が残されている。
円比丘という僧が月の光に見入っていると、老婆が現れた。
「欲が深かったため、死んでからも救われずに苦しんでいるので、子孫に菩提を弔うよう伝えてほしい。霊験あらたかな観音様を招くので私の冥福を祈ってほしい」と言うのだ。
円比丘はその言葉に従い子孫に老婆を弔うように告げるとともに、自らも供養を行った。
すると、老婆の言葉通り、千手観音像がやってきたと言うのだ。
酒樽大黒天
境内には茅葺の大酒樽には招福大黒天や金比羅大権が祀られ、御影石の佛足跡など見どころも多い。
招福大黒天に名刺を貼って祈願すると、お金が倍になると伝わって、多くの名刺が貼り付けられているのも面白い。
佛足跡も信仰されており、巡礼者が拝む姿を見られる。
山車の車輪
回廊堂
本堂の右手には四国八十八箇所霊場の本尊の模刻仏が並ぶ回廊堂が備わっている。
御砂場もあり、四国八十八ヶ所の霊場の御砂が敷き詰めてある。
本場の四国まで行かずとも、四国霊場を巡るのと同等の功徳が得られると言う。
無量山 西光寺を巡ることで、観音様の功徳と同時に、弘法大師のご利益も得られるのが魅力だ。
札堂
回廊堂の手前にある札堂には、古の時代の巡礼者による木製の納札を打ちつけた釘や釘の跡が数多く残されており、現在では札堂で般若心経の写経をお願いができる。
金毘羅大権現
春には白壁にそってボタンの花が美しく咲き、山門の枝垂桜が満開になる4月10日には金比羅様縁日が開催され、祈願の護摩が焚かれる。
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無量山 西光寺の歴史
無量山 西光寺の開山は僧の賢秀と伝えられており、その後、元文年間(1736年~40年)に僧の寛明が中興したと言う。
四国霊場の回廊堂が秩父の無量山 西光寺にあるのは、天明3年(1783年)に起きた浅間山の噴火によってもたらされた大飢饉が契機とされている。
浅間山の噴火は多くの犠牲者を出しただけでなく、秩父まで10センチにも及ぶ降灰があり、農作物や家畜にも被害をもたらし、天明の大飢饉へと深刻化した。
寛政7年(1795年)、当時の無量山 西光寺の僧であった法淳は本四国本尊を勧請して回廊堂を建立して尊像を奉安し、噴火や飢饉によって出た犠牲者の供養とともに天下泰平を祈願したのである。
その当時、秩父から四国まで巡拝することは簡単なことではなかった。
そのため、地域の人々の話題を呼び、多くの参拝者を集めたとのことだ。
本堂は宝永7年(1710年)の建立で、その手前右に四国霊場の御砂踏み場、八十八仏回廊があり、四国八十八ヶ所のご本尊様が並んでいる。
回廊堂は約10年におよぶ歳月を費やして建立されたもだが、建立後200年の間には二度ほど小修理が施されている。
もっとも、無住の時代や明治維新、戦争や敗戦などの影響で、荒廃してしまったため、昭和46年(1971年)に回廊堂修復を発願した。
修復するにあたっては創建の故事に従い、広く浄財を募って大修復がスタートされ、約5年の年月をかけて、昭和51年(1976年)11月に現在の姿へと修復された。