秩父三十四箇所の第11番札所の南石山 常楽寺(じょうらくじ)。みどころは奈良時代の高僧である行基作の十一面観世音菩薩だ。かつては観音堂の修繕費をまかなうために江戸の湯島天神へ運び有料で公開することもあったという。
秩父の第11番札所 常楽寺のみどころは行基作の十一面観世音菩薩
南石山 常楽寺は埼玉県秩父郡にある曹洞宗の寺で、秩父三十四観音霊場の第11番札所だ。
住所は埼玉県秩父市熊木43-28に位置する。
本尊は十一面観世音菩薩だ。
御詠歌は「つみとがも 消えよ祈る 坂ごおり 朝日はさで 夕日かがやく」である。
秩父の第11番札所 常楽寺へのアクセス
住所:〒368-0032 埼玉県秩父市熊木町43−28
最寄駅:西武秩父駅
徒歩:約13分
常楽寺の御朱印
南石山 常楽寺のみどころ
羊山丘陵に続く山の中腹に位置し、10番札所とは山を挟んだ反対側にあたる。
山の中腹にあるため、秩父市街を一望できる眺めが素晴らしい。
本尊は90.9cmほどの立像の十一面観音だが、行基作と言われる釈迦如来像も安置されている。
本尊の十一面観世音菩薩は病気平癒と長寿祈願の守護仏であり、地域からの信仰も厚い。
この通りを真っ直ぐ、観音堂の手前に納経所があるのだが観音堂の横に納経所があるが住職さんがとても親切な方だった。
稲荷神社
神社があるということは神仏習合時代の名残を残しているということ。
観音堂
病気平癒と長寿祈願の観音様として親しまれているのは、次のようないわれがあるからだ。
開基とされる門海上人が病に倒れた際に、夢枕に金剛神が現れ、病が快方に向かったという言い伝えから、病気平癒、長寿祈願の観音信仰が生まれたのだ。
病気平癒や長寿祈願に訪れる人が多いことから、秩父産の薬草を調合して作った漢方茶である「延命茶」が納経所で販売されており、土産物として購入して帰る人が多い。
また、本堂には厄除け元三大師と普賢菩薩も祀られている。
現在は曹洞宗の寺だが、かつては天台宗であった歴史があるために、元三大師が祀られているのだ。
そのため、毎年1月3日には厄除け元三大師の縁日が開かれており、達磨供養なども盛大に行われ、大師のお守り札が発行される。
新しい年の御加護を祈る人々が、地域内外から参拝に訪れると言う。
一方、4月20日は本尊である十一面観世音菩薩の縁日が開催される。
この日は、辰歳・巳歳生まれの守護本尊の普賢菩薩の縁日も兼ねており、この日も多くの参拝客で賑わいを見せる。
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南石山 常楽寺の歴史
南石山 常楽寺の創建年代は明らかでないが、宗海(1643年に亡くなる)が中興開山し、元文年間(1736年~1741年)に当地へ移転したのではないかと言われている。
移転する前の永禄12年(1569年)には、武田勢侵入によって、常楽寺の観音堂に火が掛けられたという話が「秩父回覧記」に残されている。
通称「武田焼き」と呼ばれた戦の一環で、秩父の大奥の観音霊場が打撃を受けた歴史を有するのだ。
移転後の寺は、観音堂や仁王門、庫裡を備えた天台宗寺院であった。
また、南石山 常楽寺の開基とされる門海上人については、「観音霊験記」に言い伝えが残されている。
寺の住持であった門海上人は仁王門の建立を志し、長年にわたり心を尽くしてきたが、道半ばにして重い病にかかってしまった。
本願の達しがたいことを憂いながら、本尊に快気を祈願したところ、ある夜、夢枕に黄面の老僧が金銅神を従って現れたと言うのだ。
そして、「門海の病気吾能治すべし」と告げたかと思うと、門海上人が金銅神に肩を引立てられるところで、夢から覚めたと言う。
すると、たちまち病が全快し、無事に仁王門建立の本願を遂げたのだ。
この言い伝えから、本尊は病気平癒、長寿祈願にご利益があるとして、今でも多くの人が祈願に訪れている。
もっとも、江戸時代には天台宗として栄えた寺は、明治11年の秩父大火で類焼してしまう。
その後、明治30年(1897年)になって、現在の観音堂が再建され、三間四面、流れ向拝付き方形建築となり、境内には庫裡も設けられた。
江戸時代末までは、秩父札所の中でも、唯一の天台宗の札所であったが、大火で焼失したのが影響したのか、明治初年に一度廃寺となり、曹洞宗に改宗復興された歴史を持つ。
天台宗時代の名残として、比叡山中興の祖元である三慈恵大師が今も祀られており、曹洞宗になってからも、1月3日の厄除け元三大師の縁日には、開運厄除けを願う初参り客で賑わっている。