秩父三十四箇所第32番札所 般若山 宝性寺,終盤の札所は山深いところが多いので参拝するのに苦労するが、足を運ぶだけの価値は多い。特に秩父札所では唯一となる鐘楼門や奥の院にはみどころが多い。
秩父三十四箇所第32番札所 宝性寺のみどころは鐘楼門
般若山 法性寺は埼玉県秩父郡にある曹洞宗の寺で、秩父三十四観音霊場の第32番札所だ。
埼玉県秩父郡小鹿野町般若2661に位置する。
本尊は聖観世音菩薩だ。
御詠歌は「願わくは 般若の舟に のりをえむ いかなる罪も 浮かぶとぞきく」である。
般若山 宝性寺へのアクセス
住所:〒368-0103 埼玉県秩父郡小鹿野町般若2661
最寄駅:西武秩父駅,小鹿野車庫バス松井田下車
徒歩:約50分
般若山 宝性寺のみどころ
般若山 宝性寺の 鐘楼門
秩父札所では唯一となる、希少な構造の鐘楼門がある。
1階に仁王像、2階に鐘を吊るした珍しいものだ。
般若山 宝性寺の 仁王像
般若山 宝性寺の 参道
般若山 法性寺は秩父の苔寺とも呼ばれることがあるが、仁王門をくぐり、苔むした境内を歩いて、奥に進んでいくと石段が見えてくる。
般若山 宝性寺の 観音堂までの道のり
般若山 宝性寺の 観音堂
岩を削った80段ほどの石段を登ったところに、風化でできた岩窟の下に舞台造りの観音堂があるのだ。
観音堂には行基菩薩が制作したと伝わる聖観世音菩薩が、本尊として納められているのだ。
般若山 宝性寺の 奥の院
さらに、岩船山の頂上には奥の院がある。
奥の院までは約30分かかり、往復すると1時間に及ぶので、かなりの気力と体力を要するが、時間と体力の余力があれば、ぜひとも足を運んでみたい。
奥の院は通称をお船観音と呼ばれており、観音堂から山道を伝って岩壁を登り、鎖場を這い上がった場所に広がる、全長200mの巨岩のお船岩に位置している。
奥の院にはお船観音像と大日如来像が安置され、奥の院からの眺望は秩父札所随一とも言われる素晴らしい絶景だ。
お船観音と呼ばれる観音像は、笠をかぶり、舟に乗って櫓を漕ぐ、大変珍しい姿なのも見逃せない。
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般若山 法性寺の歴史
般若山 法性寺は、奈良時代、行基の開創と伝えられている。
本尊である聖観世音菩薩も、行基が一刀三礼してを刻したと言われる。
また、弘法大師が一晩で大般若経六百巻を書き上げたとの言い伝えがあり、法性寺のある地域一体が「般若」と呼ばれるようになった。
もっとも、文献によれば、般若山 法性寺は鎌倉時代貞永元年(1232年)に眼応玄察和尚が曽祖・開山でと記されている。
大日如来も残されていることからも、古くは密教系寺院であったと推察されている。
その後、江戸時代になって智外宗察大和尚が曹洞宗の寺院として開山し、ほぼ現在の形に伽藍を整えたという歴史を持つ。
般若山 法性寺の観音堂は江戸時代の宝永4年(1707年)に建立された、総欅材の三間四方の舞台造りだ。
現在の観音堂は平成13年(2001年)に、浄財をもとに大改修されたものである。
二階建ての珍しい鐘楼門は宝永7年(1710)に建てられ、仁王像は江戸の仏師・石見が制作したものだ。
仁王像も、平成23年(2011年)に修復が行われている。
なお、奥の院にあるお船観音については、以下のような縁起が残されている。
昔、豊島郡の住人である豊島権守が娘を、この秩父郡へと嫁がせた。
ある日、娘が里帰りをしようと舟に乗ると、犀ヶ渕で悪魚に見初められてしまい、水底に引き込まれそうになったと言う。
その時、一人の美女が現れ、娘を助けて舟に戻してくれたと言うのだ。
おつきの従者たちが喜び、感謝して、「どなた様か」と尋ねると、「私は岩船山のものです。娘さんの父親をはじめ、主従たちが、観音様を厚く信じているので危難のところを助けにまいりました。」と告げて姿を消したと言われている。
この不思議な話を助けられた娘の父である豊島権守に伝えると、歓喜の涙を流して、観音様のご利益だと尊び、そのお礼のために諸国巡礼の旅に出たと言う。
そして、般若山 法性寺を参拝した折に、帳をあげて拝んだところ、なんと笠を冠った観音様がいたと言うのだ。
豊島権守は感涙して、三日三晩にわたり、般若心経を写して供養をしたと言う。
その観音様こそ、奥の院のお舟観音であるという縁起だ。