秩父三十四箇所の第15番札所母巣山少林寺(ははそざんしょうりんじ)。みどころは真っ白な土蔵造りの本堂で洋風式の本堂だ。
秩父三十四箇所の第15番札所 母素山 少林寺のみどころは洋風式の本堂
母東山少林寺の本堂は、蔵造りとなっており、秩父札所では、唯一の土蔵造り。
屋根は、瓦葺屋根となっている。
真っ白な漆喰が塗られた入母屋造りの建物だが、まるで洋館を思わせるモダンな印象が特徴的だ。
秩父 15番札所 少林寺へのアクセス
住所:埼玉県秩父市番場町7-9
最寄駅:西武秩父線「西武秩父駅」、秩父鉄道「秩父駅」および「御花畑駅」
徒歩:約5分
母東山少林寺へのアクセスは、今宮坊の裏手にある駐車場の脇の道から住宅地を進む。
左手側にある庚申堂のその先で右へ曲がり、道なりに進んで信号を渡り、右折してすぐの路地へ入っていく。
その少し先で商店街に出て左折すると、前方に秩父神社の杜が見えてくる。
「少林禅寺」の石柱を目印に進み、そこを右に入ると、秩父鉄道の踏切の向こう側に母東山少林寺がある。
4番今宮坊からは、約850m、徒歩で5分のほどの距離だ。
そのため、気軽に行くことができるだろう。
母素山 少林寺のみどころ
本堂
本堂が造られた時期は、明治の末年(1911年)だ。
前面側には、千鳥破風の向拝が付けられている。
市教育委員会の掲示板には、「総体を漆喰い込めで洋風が加味されており、明治期の建築として異彩を放っております」との記載があった。
母東山少林寺の本堂が建設されたのは、道三和尚の時代とのことである。
明治の大火の後に造られたということもあり、防火対策に重点が置かれたとのことだ。
山門
庭園
寺庭には、たくさんの花や樹木が植えられている。
ボタン、モクレン、フジ、サツキ、モミジなども植えられており、それぞれの花木には名札も下げられている。
これら花木は、先代の住職たちが巡礼の人たちの目を楽しませようとして、植えたものだ。
毎年四季折々の美しい花が咲き、小さな植物園のような雰囲気もある。
春になると、現住職が植えた福寿草の花も楽しめる。
福寿草は、すでに五千株以上も増えており、足を休ませる参拝客たちを和ませているのだ。
季節を変えれば何度行っても飽きずに楽しめるだろう。
秩父事件で殉職した警官の墓母東山少林寺の境内には、秩父事件で殉職した2名の警官の墓がある。
秩父事件は、明治7年(1884年)に、秩父農民たちが、政府に対して負債の延納を求めて起こした事件である。
農民たちは、自由民権思想の影響を受けて、秩父困民党を結成し、武装蜂起したのだ。
郡都大宮郷の高利貸しなどが襲撃を受けたが、10日ほどで鎮圧された。
母東山少林寺にある墓には、この事件で命を失った警官たちが眠っている。
碑文は、内務大臣だった山県有朋が書いたものだ。
秩父三十四箇所巡り!徒歩や車で効率的に回るための地図と札所一覧の見どころガイドマップ
母巣山少林寺の歴史
母東山少林寺の創建時期については、明らかになっていない。
金仙寺二世清叔が開山したという説もある。
かつて、秩父神社の境内には、「蔵福寺」があった。
蔵福寺は、秩父三十四ヶ所札所である。
明治維新後の神仏分離令によって、この蔵福寺は廃寺となってしまう。
そこで、寺の信者たちは、秩父札所が失われることを食い止めるために、役所に願い出たのだ。
その結果、蔵福寺は、近くにあった「五葉山少林禅寺」と合併して、札所を引き継ぐことになった。
合併するにあたり、寺号を「少林寺」と改めて、現在の場所に移されたという経緯がある。
少林寺の山号である「母巣山」は、元々は蔵福寺の山号であった。
山号の由来については、「ははそ(作)の杜」だと言われている。
ははその杜というのは、秩父神社のことだ。
秩父神社と非常にゆかりの深く、秩父事件のような地元の歴史も垣間見える寺院である。
興味がある方は、ぜひ行ってさまざまなことに思いを馳せてみてほしい。