秩父三十四箇所第12番札所の仏道山 野坂寺は山門内にある無数の仏像がみどころ。我々が訪れたのは夏だったが、仏道山 野坂寺は花の寺と呼ばれるほど、花が綺麗だ。春の時期なら、参道には美しい桜並木が広がっている。
野坂寺の裏は庭園になっていて、滝からの清水が池に流れ込み、季節の花々が囲んでいる。
春には桃、ツツジや藤が咲き、初夏には紫陽花や蓮などが楽しめる。
秩父札所の中でも、最も美しい庭園と言っても過言ではない。
仏道山 野坂寺はたくさんの観音様が拝める寺、花の寺としても有名だが、盆送りの行事である8月16日の灯篭供養も知られており、多くの人が訪れる。
秩父三十四箇所の第12番札所 野坂寺のみどころは無数の仏像
仏道山 野坂寺は埼玉県秩父市にある臨済宗南禅寺派の寺で、秩父三十四観音霊場の第12番札所だ。御詠歌は「老いの身に 苦しきものは 野坂寺 今思い知れ 後の世の道」である。
秩父 第12番札所 野坂寺 へのアクセス
住所:〒368-0033 埼玉県秩父市野坂町2丁目12−25
最寄駅:埼玉県秩父市野坂2-12-25
仏道山 野坂寺 のみどころ
山門
150mほどの緩い登り坂の参道を登ると、正面には白壁が美しく、重層楼門造りの黒い山門が見えてくる。
山門の表側には閻魔大王、中には風神雷神雨神等の木像が並び、山門の右側に稲荷大明神があり、五穀豊穣や家内安全を祈願する人の姿も多い。
仏像群
仏道山 野坂寺は美しい季節の草花と、多くの観音様や仏像が揃い、参拝のしがいがある寺だ。
まず、山門の正面にはあずかり観音がある。
あずかり観音とは、苦しみを預かってくれるという観音様だ。
三面の顔があるので、正面の顔には病の痛みを、右の顔には怒りや腹立ちを、左の顔には煩いや悩みを観音様に預け、心の安らぎを取り戻されたい。
本堂入り口にはふれあい観音、小堂には子授け観音・弁財天、別棟には十三仏尊像が並んでいる。
十牛観音と怪力柳生の牛
観音堂
本尊の聖観世音菩薩は像高156cmほどの立像で、木彫一木造り、内ぐりがある、威風堂々とした仏像で、藤原時代の作と伝えられている。
本堂の白樺殿や向拝の親子龍の彫刻も見事だ。
堂内には野坂寺に咲き誇っている80種の花90枚の天井絵と、25菩薩34所墨絵額なども飾られていて圧巻である。
子授け観音
子授け観音のある場所には呑龍上人も祀られていている。
子授け観音様に子宝をお願いして、子供が授かったら呑龍上人様に無事に成長していくことを祈願するというものだ。
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仏道山 野坂寺の歴史
仏道山 野坂寺の歴仏道山 野坂寺の開創年代は明らかではないが、札所としての開創は長亨2年(1488年)で、札所番付で5番札所に数えられていた野坂観音堂が始まりと言われている。
野坂観音堂の別当を務めていたのが野坂寺だったと言い、寛保元年(1741年)に野坂観音堂と合併し、現在に至ったらしい。
「観音霊験記」によれば、延享2年、甲斐の絹商人がこの場所を通りかかった際に、山賊に襲われたと言う。
命が奪われる恐怖のなか、一心に南無観世音を唱え続けると、身に着けていたお守りが光明雷のごとく輝き、山賊が眼を射られて逃げ去ったと言うのだ。
観音の功徳で命を救われた甲斐の商人が、後にこの地に堂宇を建て、観世音を勧請してお祀りしたのが、秩父札所12番寺の始まりだという言い伝えがある。
かつて存在していた野坂観音堂は、現在の本堂の裏手の丘の中腹にあり、奥の院として利用されていたと言う。
その後、仏道山 野坂寺の本堂は明治39年(1906年)に火災で焼失している。
しばらくは小さな堂を建てるなど仮堂を使っていたが、昭和49年(1974年)になって、ようやく再建され、現在に至る。
花の寺の庭の様子が描かれた天井絵や境内にある仏像の墨絵額などが掲げられているのも、近年になって再建されたことに起因するだろう。