ジョン・ジンジャー・ボーデン!!アル中の殺人鬼

ジョン・ジンジャー・ボーデンは1956年、イギリス・ロンドン出身。子供の頃は優しく、他人に親切な少年であったというが、成長するとアルコール依存症になり犯罪の常習者になってしまう。

ジョン・ジンジャー・ボーデン!!アル中の殺人鬼

ボーデンはごくごく普通の家庭で育ったが、成長すると不良仲間たちとつるんでは、窃盗、強盗、暴行、傷害などに手を染めてしまう。
結婚もするが、すぐに妻は愛想を尽かして離婚。ボーデンは24歳の時に逮捕されて、刑務所で5年間過ごした。
だが、この間に何度も脱獄をしようとして、独房に移されるなど反省の色は皆無。

刑務所を出たボーデンの性格は、刑務所に入る前より荒み以前と同じように、仲間たちと犯罪を繰り返した。
仲間は墓堀り人で共にアルコール依存症のマイケル・ウォードと、ポーターのデイヴィッド・ベグレイ。
彼ら3人は強盗の常習犯だった。

ボーデンら3人は、これまで以上に残虐な犯行を犯す。
元・ボクサーであるドナルド・ライアンをアパートの室に連れ込み、ナタで頭を殴りつけ、熱湯風呂に突き落とした。
ライアンは失神しただけだったが、彼をバスタブから引き上げると電動の肉切りナイフで全身をバラバラにしてしまった。

血の海となった部屋でボーデンらは生首をトロフィーのように掲げて狂喜した。ライアンの生首を冷蔵庫に仕舞うと、近所のパブに行って、酒を飲んだという。

そして、泥酔してふたたび殺害現場に帰ると、生き血だらけの床で、血まみれになりながら眠ったという。

バラバラにした手足はロンドンの空き地や路地に捨てたが、そのうち頭もゴミ捨て場に投げ捨ててしまった。

当然、このような雑に放置された死体は直ちに警察に発見され、ボーデンたちは逮捕された。
法廷で事件の詳細が報告された際、陪審員たちが吐き気を催し、何度も休廷になったという。

ボーデンには1982年に3年の禁固刑、ウォードとベグレイには5年の禁固が言い渡され、ボーデンは最高厳戒刑務所に収容されたが、1983年に、囚人仲間のジェイムズ・マッケーグとともに副所長を人質にして立てこもる事件を起こすなど、一切の反省を見せなかったという。

関連記事

ペドロ・ロペス!「アンデスの怪物」と呼ばれたシリアルキラー

この記事が面白かったら応援フォローお願いします!
NO IMAGE