パトリック・マッケイ,ナチに憧れたシリアルキラー

パトリック・マッケイは1952年、イギリス・ミドルセックス出身のシリアルキラーだ。例によって家庭環境は最悪で父親は酒乱で、酔うたびに家庭内暴力を振るい虐待を繰り返していた。

そのためか、マッケイは子供の頃から、カメを火炙りにしたり、小鳥を殺して死骸を持ち歩くなど小動物を虐待三昧。13歳の時には、教会に放火して施設送りになるなど問題行動が絶えず少年院へと送られる。

パトリック・マッケイ,ナチに憧れたシリアルキラー

施設内でマッケイは自分を「フランクリン・ボルヴォルト一世」と自称し、自分はヒトラーに匹敵する世界を変革する英雄だと豪語するようになった。
その名で呼ばないと暴れ、手がつけられなかった。けっきょく、彼は精神病院に移された。

4年間入院していたマッケイは1972年に退院。以来、マッケイは酒とドラッグに溺れて生活。
楽しみと言えば、フランケンシュタインのプラモデルを作っては、手足を切断して壊すことと、部屋をナチ・グッズで飾りたてることくらいであった。

ナチ親衛隊に憧れ、制服に似た服を着て歩いた。自分の写真を撮るのが大好きで、部屋の壁は自分の写真だらけだった。

1973年にマッケイは何の理由もなく、ホームレスを橋から川に突き落として溺死させた。

以来、マッケイは次々と殺人事件を起こす。
走っている列車から女子学生を突き落として殺した。また、老女を絞殺した上、ナイフで死体をズタズタに切り裂いた。

それでも足りずに、再び老女を襲い、ナイフで刺殺。いっしょにいた孫 (4歳)も刺し殺した。タバコ屋を襲って、歳の老人をこん棒で殴り殺害。

カフェを経営する女社長は、マッケイによって、斧でバラバラにされてしまった。

60歳の老婆からはした金を奪うために、こん棒で死ぬまで殴り続けた。

アンソニー・クインという神父はマッケイを更生させようと尽力し、何かと世話を焼いたが、それがマッケイの気に触った。

マッケイは神父の家に押し入り暴行。
神父を斧で殴りつけ、バスタブに沈めた。さらにナイフで首を切り裂いたが、まだ神父は生きており抵抗を示した。
マッケイはもう一度斧で神父の頭を殴りつけた。神父はこの一撃で死んだが、マッケイはそれでも斧を振るい続け、神父の頭は割れて、脳が飛びだしてしまった。

これが、最後の殺人で、1975年、マッケイは逮捕された。死刑制廃止のため、マッケイの刑は終身刑どまりだった。

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