ハーバート・マリン!ドラッグが引き金となった大量殺人鬼

ハーバート・ウィリアム・マリンは、1947 年 4 月 18 日、カリフォルニア州サリナスで生まれた。伝えられるところによると、彼の父親は厳しいが、虐待はしていなかったという事から、この手の殺人鬼にしては珍しく家庭環境に問題はなかった。

ハーバート・マリン!ドラッグが引き金となった大量殺人鬼

ハーバート・ウィリアム・マリンは、1947 年 4 月 18 日、カリフォルニア州サリナスで生まれた。伝えられるところによると、彼の父親は厳しいが、虐待はしていなかったという事から、この手の殺人鬼にしては珍しく家庭環境に問題はなかった。

また、学校にたくさんの友達がいて、16 歳のときに高校のクラスメートから「最も成功する可能性が高い」と投票された事もある。
だが、高校を卒業して間もなく、マリンの友人の一人ディーン・リチャードソンが交通事故で死亡。マリンは自分の部屋に「祠」を建て、転生を夢想するようになる。

その後、精神病を発症し数々の病院を転々とする。やがて退院した彼はLSDやマリファナといった薬物に手を出すようになってしまう。

当時のアメリカはヒッピー・カルチャーがブームとなっていたことでドラッグが大流行していたのだが、それが引き金となっ妄想型統合失調症となってしまう。

そして1972年、マリンは「人を殺せ」という「神の声」を聞いたことで、連続殺人鬼に変身。
耳元で聞こえる「殺せ」という神の命令により、手始めにホームレスをバットで殴殺し、つづけて、女子大生や神父をナイフで刺し殺し、内臓を引きずり出すなど、次々と理由のない犯行を重ねたが、それらは、マリンにとっては、すべては「神の啓示」であったという。

また、マリンは神から「死の歌」を歌える能力を授かったという妄想を抱いており、彼が「死の歌」を歌うと、相手の人間は死ななければならない、と思い込んでいた。
そして、死ななければならないのに、自殺もせずに生きているようなら、マリンが手を下すというのが彼の理屈であり、同時に殺人をすれば大災害を無くせると信じていた。

そんな無軌道な殺人は長く続くことはなく、翌1973年に逮捕されることになるが、この1年間でマリンは8人もの犠牲者を出していた。

収監された後は終身刑を言い渡され、2022 年 8 月 18 日、カリフォルニア州の医療施設に収容されていたときに、75 歳で自然死する。

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