ウェイン・ウィリアムズは1958年、アメリカ・ジョージア州出身で教職に就く黒人の両親のもとに生まれた。
ウェイン・ウィリアムズ!黒人だけど黒人差別主義者の殺人鬼!
少年時代は成績がよく、望遠鏡で天体観測をしたり、アマチュア無線をしたりする少年だった。
ハイスクールを卒業した彼は、自分には才能があるから大成功するなどと誇大妄想癖が現れて、放送・エンターテインメント業界での成功を夢見たが失敗、破産。、ソウル・バンドを結成したりするのだが、うまくいかず、それらを周りのせいにしていた。
周囲の愚かな黒人たちが自分の足を引っ張っているとウィリアムズは常々考えており、実際に口にしていたという。
しかし、ウィリアムズは、黒人の男性専門の同性愛者でもあり、完全に矛盾した心理を持っていた。
1979年、ウィリアムズの最初の犠牲者2人が発見される。犠牲者は両方とも黒人の若者で、散弾銃で射殺されていた。
それから程なくして、9歳と2歳の黒人の少女が性的暴行を受けた上で殺害されたが、被害者がすべて黒人だったため、世論と警察は犯人は白人の人種差別主義者だと決めつけ、黒人であるウィリアムズはまったくノーマークであった。
その結果、ウィリアムズは同じ黒人をナイフで刺し殺したり、絞殺、鉄橋からの突き落としなど、数々の犯行を続け、黒人の若者や少女が次々と殺害されていった。
黒人地区の親たちは、この事件に恐怖し、警察は被害者が白人でないから真面目に捜査していないとして、犯人に懸賞金を出したり,子供の夜間外出を禁止するなどの防衛策を取ったが、1981年までに全部で8人の黒人が殺され、黒人のコミュニティーの中では、犯人は警官ではないかと疑う者まで現れた。
この年の5月、警察は偶然、ウィリアムズが川に遺体を投げ込んだ現場を発見。
彼の車から犠牲者の毛髪が見つかり、逮捕された。しかし物証が乏しく、状況証拠ばかりだったこともあり、ウィリアムズは2件の殺人の
罪だけを問われ、有罪判決を受け、終身刑2回分を言い渡されたのだった。
一説では男女問わず25人がウィリアムズによって殺害されたという。