リチャード・ラミレス悪魔主義者のイケメン殺人鬼

リチャード・ラミレスはナイトストーカーとよばれた自称・悪魔主義者のシリアルキラーで,ルックスがイケメンだった事から多くの女性ファンを獲得したことでも知られる。

リチャード・ラミレス悪魔主義者のイケメン殺人鬼

1960年、アメリカ・テキサス州出身のリチャード・ラミレスはメキシコ移民の大家族に生まれた。子供の頃からシンナーやマリファナを吸いながら育ち17歳の時はドラッグ使用で逮捕された経験があるなど、典型的な非行少年だった。

その後、1983年にロサンジェルスに出てきたラミレスは、ヘヴィメタルを知り夢中になった結果、悪魔や地獄といったモチーフをラミレスはリアルなものとして受け取り、悪魔主義者を自称し始めたのだった。
だが、根っからの小心者だったのか、犯罪といえば車泥棒くらいで、19歳で、窃盗罪で刑務所に入ることになる。
刑務所から出たラミレスは、1984年にはじめての強姦殺人を犯すのだが、被害者は老婆であった。
これに手応えを感じたのか、ラミレスは現場や死体などに五芒星型の悪魔のサインを書き残し悪魔主義者であることを示したのだった。

そして、この事件を皮切りにして、逮捕される1985年までの1年間に3人を殺害。被害者はいずれも中高年以上の女性だった。

彼の犯行にはパターンがあり、まず深夜に寝静まった家に侵入。
夫婦のベッドルームに直行して、夫を銃で殺害すると、おもむろに夫の死体の側で、妻を暴行したのだった。
後は、女性をロープで縛り、殴る蹴るの暴行を加えたうえ、凄惨な拷問を行い、被害者が死んでいく過程を観察して性的快感を得たのだった。

この犯行パターンにより、彼には「ナイト・ストーカー」なるあだ名がつき、ロスの住人たちから恐れられたのだった。

しかし、警察も黙っては居なかった。最終的には200人を超える捜査員と、日本電気現地法人のシステム納入チームの責任者である日本人システムエンジニア達により当時最新鋭の機材だった日本電気製の指紋照合システムが現場に導入された事であえなく逮捕されたのだった。

そして、逮捕されたラミレスは3件の殺人事件の罪により、死刑2回分という判決を受けたのだが、その後、カリフォルニア州で死刑制度が廃止されたことにより、2013年に病死するまで刑務所生活を送っていた。

また、ラミレスはイケメンだったため、逮捕裁判の間に、彼には多くの熱狂的女性ファンがつき、1996年にはグルーピーのひとりであった女性と獄中結婚したのだった。

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