殺人ピエロといえばホラー映画ではおなじみのキャラクターだが、そのモデルとなったのがジョン・ウェイン・ゲイシーというシリアルキラーだ。
殺人ピエロ・ジョン・ウェイン・ゲイシー
ジョン・ウェイン・ゲイシーは地元では名士として社会活動にも積極的に参加するなど善良な人物として慕われていたが、裏では7年間で33人もの少年を殺害していたシリアルキラーだった。
数多のシリアルキラーの例にもれず、ゲイシーも幼少時から歪んだ環境で育った。
幼い頃から近所に住む女子学生に性のオモチャにされ、父親の友人(男)からも性的虐待を受け続け、これらの体験が彼に大きなトラウマを残した。
また、成長するとゲイシーは同性愛者になっていたが、表面上は自分の性的指向を周到に隠しており、周囲には優しく社交的な男として通っていた。
ゲイシーは、青年商工会議所や警察の支援活動を行っており、休日に「ポゴ」という名のピエロに扮して、孤児院などを慰問して回るなど、子供たちからも人気を集め、地元の名士として慕われていた。
しかし、これらの活動はすべて、自分の欲望を満たすためのフェイクであった。ゲイシーは男児専門の小児性愛者であり、裏では少年たちに何度も性的暴行を加えていたのだが、
20代後半の時、はじめての殺人を犯す。10代の少年を暴行して刺し殺し、自宅の床下に隠したのだ。
そして、ゲイシーは、この時の快感が忘れられなくなってしまう。
ピエロのポゴに変身し、街でアイスクリームを配りながら、男娼や会社のバイト社員などから可愛い男の子を物色し、暴行しては殺していた。
ゲイシーは後に「ピエロなら、殺しは簡単なことだ」と発言しているほどで、拷問して苦しませたあげくに殺すのが、ゲイシーには至福の時だった。
行方不明の少年の捜査で、ゲイシーに目を付けた警察が、麻薬不法所持の件で家宅捜索令状を手に入れ、自宅を捜索。
ゲイシーの自宅の床下からは29人の少年の腐乱死体が発見され、すさまじい悪臭がしていたという。また公式には33人とされているが、
被害者はもっと多いとされている。
ゲイシーは死刑判決を受け、1994年に執行される。薬物混合液による刑執行が行われたが、手違いにより、絶命するまで約18分間も意識を持ち続けた。
なお、ジョン・ウェイン・ゲイシーは絵画制作が趣味であったようで、彼の残した絵画は高値で取引されている。