イギリスのロンドンにある蝋人形館「マダム・タッソー館」では、殺人鬼グレアム・ヤングの姿を模した蝋人形が展示されている。彼は毒物を「友だち」と呼び、家族にも残虐な犯行をり返した。
グレアム・ヤング 蝋人形館に展示された殺人鬼
グレアム・ヤングは1947年イギリス・ロンドンで生まれる
母親がグレアムを出産後、数カ月で死んだため、グレアムは父子家庭で育つ。
その後、父親が再婚するも、グレアムはこの後妻によくなつき、両親と姉の一家4人は仲良く暮らしていたという。
また、グレアムは幼少時より成績優秀であったが、そのために他人は自分よりも劣った連中だと思うようになり、やがてナチスの優生思想に傾倒し始め、ヒトラーと、ヴィクトリア朝時代の毒殺魔ウィリアム・パーマーを尊敬するようになり、自分の部屋に実験室をつくっては夜な夜な毒薬を調合するようになる。
そして1961年、グレアムは家族の食事に、人体に対して毒性のある鉱石アンチモンを混入する。
すると家族全員が腹痛や嘔吐、身体の震えなどの症状などが起き始め、仲のよかった義母も日に日に衰弱していき、1年後に死亡してしまう。
そして父親は医師のもとへ向かったのだが、ベラドンナの中毒と診断されてしまう。何を血迷ったのか、これを聞いたグレアムは爆笑し「アンチモンとベラドンナの区別もできないのか」と口走ったことで犯行が発覚。
精神病院送りとなったグレアムだが、病院での彼は真面目で、9年後には退院。医師は治療の効果ありとしていたが、彼の入院中に患者の一人が謎の中毒死を遂げているなど、じつにいい加減な病院である。
退院したグレアムは写真現像会社の倉庫の管理人の職に就く。すると彼はふたたび社員の食事に、人間の神経系を冒す薬物を混入し、さっそく会社の係長が背中や胃の激痛という症状を現し、死亡してしまう。
いっさいの罪悪感などない彼は、次々と毒物の混入を続け、同僚たちは原因不明の症状を起こしはじめた。
ところが、なぜか、同僚たちはこの病気に 「ボビンドン虫」なるあだ名をつけ、奇妙な病気だな程度の認識しか抱かなかった。
グレアムは同僚たちの症状を日記につけ観察し、混入する毒物の分量を調整していった。またもや、同僚の1人が死亡。さらに、全員が激しい腹痛や全身の痺れを現し、中には髪が抜け落ちる者まで現れた。
ついに医師団が派遣され社員たちとの面談が行われたのだが、ここでグレアムは自慢げに自分の薬学知識を披露する。
医師たちはグレアムの医学の驚嘆し、不審に思った彼の過去を調査すると、かつての毒殺事件が発覚。
自慢げに知識を披露したことが逮捕のきっかけとなり収監される。
終身刑の判決を受けたが、心臓発作を起こして死亡した。