アーサー・シャウクロスはアメリカ出身のシリアルキラーで幼少期から虐待を受けていたがベトナム戦争に従軍した事で完全に狂気に墜ちた人物だ。
アーサー・シャウクロス!ベトナム帰りのシリアルキラー
1945年、アメリカ・メイン州出身。シャウクロスは幼い頃から、母親の肉体的虐待を受けながら育った。父親は家庭を顧みず愛人宅に通い詰めており、母親は嫉妬の標的としてショークロスに暴力を振るっていた。
9歳で叔母と実母から性的な虐待を受ける
シャウクロスは幼い頃から、母親の肉体的虐待を受けながら育っていたが、彼が9歳の時、叔母から誘われ肉体関係を持つようになる。9歳で性の快感を知ったシャウクロスは自ら進んで、叔母に抱かれに行ったが、これが母親に知られると、さらに激しい折檻を受けることになってしまう。
夫との性的関係がない欲求不満の捌け口として、母親の折檻は性的にエスカレートした変態的なものになっていた他、姉妹とも性的な関係を結んでいた。
このような生活が続いたことでシャウクロスの精神は完全に歪みきっており、学校では極めて暴力的ないじめっ子として評判だった。
また、家族との歪んだ関係は知能の発達にも影響を与えていたようで、小学校低学年の頃は成績判定が「A」か「B」の優秀な子供だったが、成長するにつれ知能テストで「IQ86」という結果が出たほか、いくつかのテストでも標準以下あるいは「知的障害すれすれ」であるという結果が出た。
こうして、人格が破綻しかけていたシャウクロスだったが、彼が21歳を迎えた頃になるとベトナム戦争が激化、徴兵され陸軍に入隊する。武器等の整備担当としてオクラホマ州ロートン のフォートシル基地に駐留しベトナムでの戦闘に参加はしなかったが、この時も「火をつける事に性的な快感を得ている」と陸軍の精神科医に診断されるなど、相変わらず人格に問題を抱えていた。
除隊後、放火や強盗などの犯罪を重ねた事で5年間の刑を宣告されも、22ヵ月後に刑務所で発生した暴動の際に刑務官を助けた功績から早期釈放される。
だが、釈放からすぐに10歳の男の子と8歳の女の子をレイプして殺害。
当然ながら逮捕され25年の刑を宣告されたが、14年後に仮釈放される。精神科医は釈放することに反対していたが、刑務所職員とソーシャルワーカーの判断により1987年4月に仮釈放された。
この精神科医の警告は当たり、
シャウクロスはニューヨーク州ローチェスターに移り住むと、ジェネシー川峡谷で好きな釣りを楽しむ一方で、夜な夜な売春婦を次々に殺害したのだった。
また、シャウクロスは売春婦を殺した後に凌辱するのを好み、その後、局部を刃物でえぐり取って持ち歩き、更には死体を放置した現場に再度現れ、腐りかけの死体を愛でては、興奮のあまり、最後には噛みちぎって全部、食べてしまうのであった。
こうしてシャウクロスは11人の女性を殺害。市民を恐怖のドン底に陥れた。
そして、1990年1月5日、アーサー・シャウクロスは遺体遺棄現場の近くに停めた車の脇で小便をしている所を警察に見つかり、逮捕される。
このうち、10件の殺人により250年の終身刑が確定。
本人も、釈放されたら、また、殺人を続けてしまうから、終身刑にしてくれと望んだという。
そして2008年11月、心停止を起こし死亡する。