足利尊氏が後醍醐天皇への挙兵を決意した場所,浄光明寺

足利尊氏が後醍醐天皇への挙兵(建武の乱)を決意した場所が鎌倉にある浄光明寺。ここは後醍醐天皇の勅願所でもあったので皮肉な場所である。

足利尊氏が後醍醐天皇への挙兵を決意した場所,浄光明寺

足利尊氏が後醍醐天皇への挙兵を決意した場所,浄光明寺
浄光明寺

泉谷山 浄光明寺 とは

源頼朝の願いで文覚上人が建てた堂が始まり。その後、建長三年(1251)、鎌倉幕府六代執権の北条長時が真阿(真聖国師)を開山として創建。

もともと、この寺院は後醍醐天皇の勅願所であったが、一方で1335年に足利尊氏・足利直義の兄弟はこの寺に籠もり、後醍醐天皇に対し挙兵する決意を固めた場所(いわゆる建武の乱(1336年)でもある。
尊氏と直義からの帰依は厚く、寺領や仏舎利の寄進を度々受けた。

浄光明寺はこんな人におすすめ

・歴史が動いた場所を訪れたい
・足利尊氏ゆかりの場所を見たい
・足利直義ゆかりの場所を見たい
・後醍醐天皇ゆかりの場所を見たい

浄光明寺へのアクセス

足利尊氏が後醍醐天皇への挙兵を決意した場所,浄光明寺

住所

住所:鎌倉市扇ガ谷2-12-1

最寄駅

JR鎌倉駅西口より徒歩15分

駐車場

駐車場 なし

拝観時間

9:00~16:00

拝観料

拝観料無料 ( 阿弥陀堂拝観は200円 )

浄光明寺の見どころ

浄光明寺

みどころ「足利直義の守り本尊の矢拾地蔵」

浄光明寺
本堂横の収蔵庫には本尊の阿弥陀三尊像、そして足利直義の守り本尊「矢拾地蔵」が収蔵されている。

その由来は、戦で矢が尽き困っている直義のところへ、子供の僧が走り寄ると拾い集めた矢を差し出した。不思議に思い子供を見ると、それは錫杖を矢と共に持つ地蔵菩薩の化身だった、という伝説にちなむ。
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