高徳院の見どころと鎌倉大仏についての3つのこと

高徳院,鎌倉大仏で有名な鎌倉の名所の見どころや、鎌倉大仏と奈良大仏の違い、あまり知られていない3つのことを紹介。

高徳院の見どころと鎌倉大仏についての3つのこと

高徳院の鎌倉大仏

高徳院とは

鎌倉のシンボルとして有名な鎌倉大仏。その大仏様が置かれいる寺院が高徳院。
しかし、全国的な名所でありながら開山、開基ともに不明だったりする。

高徳院はこんな人におすすめ

・鎌倉と言ったらココ!的な名所に行きたい
・朝鮮王朝ゆかりのものが見たい
・徳川秀忠ゆかりの仏像は見たい

高徳院へのアクセス

高徳院

高徳院の住所

住所:鎌倉市長谷4-2-28

高徳院の最寄駅

江ノ島電鉄長谷駅より徒歩7分

高徳院の駐車場

駐車場なし

高徳院の拝観時間

8:00~17:30 (10~3月は17:00まで) 大仏胎内8:00~16:30※入場は開閉15分前まで(大仏 胎内は10分前まで)

高徳院の拝観料

大人300円
小学生150円
障害者無料
大仏胎内は20円

高徳院の見どころ

高徳院

朝鮮王朝と徳川秀忠ゆかりの観月堂

高徳院の観月堂

鎌倉三十三観音霊場の札所本尊は観月堂に安置されている。この観月堂はもともと、朝鮮王朝にあったものを山一證券の創業者・杉野喜精が寄贈したもので、本尊の聖観音は元々は徳川秀忠の持仏。

鎌倉大仏についてあまり知られていない3つのこと

その1「奈良大仏との違い=民衆の力で造られた」


奈良大仏と鎌倉大仏の違いは、前者が国策として造られたことに対して、後者は民衆からの浄財(寄付)を集めて造られたということ。

源頼朝の侍女・稲多野局(いなだのつぼね)が思いたち、浄光という僧が民衆の浄財を集め完成に至った。

その2「最初は木造だった」

民衆から浄財を集め、暦仁元年(1238) に着工した鎌倉大仏は六年後に完成。
この大仏は当初、木造であった。

しかし、宝治元年(1247)の台風で倒壊。そのため建長四年(1252)に青銅にて鋳造される。
この大仏を鋳造した人物は大野五郎右エ門と丹次久友。

また、当初は金箔が貼られており頬のあたりにその跡を見ることが出来る。

総高約13メートル、総重量122トンの仏像は、当時の工法としては最高の水準で造られ、宋の影響を受けたと言われ、大正十二年(1925)の関東大震災でも倒壊する事はなかった。

また、昭和三十五~三十六年に強化プラスチックで補強され、免震構造が施された。

その3「かつては大仏殿があった」

鎌倉大仏

鎌倉大仏は創建当初より大仏殿に安置されていた。しかし、この大仏殿は台風で二度倒壊している。倒壊するたびに復興されたものの、明応
七年(1498)の津波で流されて以来、露座の大仏として今に至っている。

なお、2000年から行われた発掘調査により、CGによる大仏殿の再現が行われているようだ。

鎌倉大仏の最新研究紹介

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