おせんころがし殺人事件、昭和を代表する凶悪な連続殺人事件の舞台となった場所が現在どうなっているのかを見てきた。
おせんころがし殺人事件の場所の現在を見てきた
おせんころがし殺人事件とは
- 1951年千葉県安房郡小湊町(現在の鴨川市)にある断崖「おせんころがし」で発生した強姦・殺人・死体遺棄事件で,犯人である栗田 源蔵によって合計7人が殺害された
- 栗田は、1956年に国会で死刑制度廃止か存続かの論争が起きた際に、死刑存置論者から「凶悪無比な特殊な極悪人」として挙げられる程の人物だった。
- 1959年10月14日に宮城刑務所において、栗田の死刑が執行される。
場所
住所:〒299-5256 千葉県勝浦市大沢215
ルポ
見ての通りの断崖絶壁。目の前には太平洋が広がっている。
整備されているが、人気は感じない寂しい場所だ。海釣りには良い場所かもしれん。
ここで唐突にドローンを起動!上空から撮影!
昔、この地域を治めていた古仙家にお仙という一人娘が居た。何不自由なく育てられていたお仙であったが、大変聡明な人物であったという。対して父親は重い年貢を領民に課して厳しく取り立て人を苦しめる強欲な人物で村人から大層恨まれていた。
そのことに心を痛めたお仙は,13歳の時に父親へ華美な生活を慎みたいと願い出た。その健気な態度は領民の怨嗟を鎮めたが、18歳の秋に悲劇が起こる。
この年は久しぶりの豊作であった為、年貢の率をつり上げてしまう。お仙は非道な行いをやめるよう懇願するが、父親は拒否してしまった。怒りを爆発させた領民は領主の家を襲い、酔いつぶれて寝ている領主を有無も言わさず簀巻きにすると、断崖から投げ落としたのである。
翌朝、領主の死を確かめに浜まで降りた領民は、そこで変わり果てた姿のお仙を見つける。父親の着物を身につけたお仙の亡骸を見た領民は、自分たちの暴挙を悔い泣き叫び続けた。それは命を救われた領主も同じであった。やがてお仙が亡くなった断崖は“おせんころがし”と呼ばれるようになり、その霊を慰めるために「孝女お仙供養塔」が領民の手によって建てられたという。