第五福竜丸展示館、核実験の悲劇を伝える場所

夢の島公園にある第五福竜丸展示館。ここにはアメリカによる核実験の被害者第五福竜丸が展示されている。

第五福竜丸展示館、核実験の悲劇を伝える場所

〒136-0081 東京都江東区夢の島2丁目1−1 入館料無料

第五福竜丸展示館の写真

第五福竜丸事件、わかりやすく言うと、1954年3月1日、日本の漁船第五福竜丸がアメリカの水爆実験による死の灰を被った事件だ。

その船体(実物)が、この夢の島公園内の無料展示施設内に保存されている、という訳だ。

この特徴的なデザインは杉建築設計事務所の杉重彦氏によるもの。設計は1976年で、氏の代表作になっている。

これが第五福竜丸の実物。意外と巨大で画面に収まりきらない。

これが放射性降下物の死の灰。ちなみに「死の灰」という言葉が生まれたのは、この第五福竜丸事件によるもの。この白い灰が落下して甲板をおおった3日後,全乗組員 23人が軽い頭痛を訴え,吐き気やめまいを催す者が出て,更には灰のついた皮膚が赤黒く水ぶくれとなり,頭髪が抜けはじめたという。

このためか、館内には「世界のヒバクシャ」が展示されているが、こうした放射線の被害を受けた人々が「Hibakusha」とよばれているのだが、写真をみると痛々しい写真もかなり多い。

この第五福竜丸は事件当時、アメリカ政府が設定した危険水域外で作業していたが爆発の影響は凄まじく、乗組員らは目を開けることも出来ないほどの灰に見舞われたという。危険を察知した船長はただちに海域からの脱出をはかったのだが、延縄の収容に時間がかかった為に、約4,5時間もの間、死の灰にさらされ続けてしまった。

その後、被爆者22名の殆どが重大な後遺症を患うことになってしまった。

第五福竜丸事件と当時から何も変わってない日本人

例のごとく、アメリカ政府はこの件に関しては現在に至るまで公式に謝罪をした事はなく、日本政府も強く追求しなかった。それ自体も問題だが、この事件直後にも風評被害が起きたそうだ。

「放射能マグロ」による風評被害でほかの水産物も軒並み相場は値つかず大量廃棄。しかもアメリカ政府からの見舞金は、第五福竜丸だけに支払われた為、ほかの漁船からのやっかみや、放射能が伝染するといった間違った情報がひろまったため、第五福竜丸乗組員らは漁師の仕事を離れなければならなかったという。

何かに似てません?そう、東日本大震災の時と同じですな。日本人って、昔から変わってませんねえ

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