比企能員が復興した坂東三十三観音霊場十番・岩殿山正法寺が埼玉の隠れた名所すぎて最高な件

鎌倉殿の13人でおなじみの比企能員が復興したとされる寺院が埼玉県深谷市にある。それが坂東三十三観音霊場の十一番である岩殿山正法寺(しょうほうじ)だ。これが隠れた名所といった趣きで最高だった。

おすすめ度

評価 :5/5。

岩殿山正法寺の個人的評価

岩殿山正法寺は秘境にある聖地といった感じで、久しぶりに歩っているだけでも楽しかった。
寺院そのものが魅力的な場所は数あるが、周囲の景色をふくめて魅力的なのは数少ない。
四季ごとに訪れてみたい名所だ。特に正法寺の大銀杏は必見。

山奥にあるので気軽に参拝するのは難しいが、わざわざ足を運ぶだけの価値があるぞ!

比企能員ゆかりの場所を探している人は正法寺以外では、比企一族の墓がある金剛寺や宗悟寺などもある。

比企能員が復興した坂東三十三観音霊場十番・岩殿山正法寺が埼玉の隠れた名所すぎて最高な件

岩殿山正法寺 の楽しかったところ
・本堂まで向かう道程や銀杏の木

岩殿山正法寺 で得られるもの(ご利益など)
・子育て
・水子供養
・冒険感

岩殿山正法寺 はこんな人におすすめ
・スカイリムでハイ・フロスガーへ向かう感覚をリアルでも味わいたいひと
・関東圏で聖地みたいな場所を冒険したいひと
・和風RPGみたいな冒険をリアルでやりたいひと
・比企能員ゆかりの地をまわりたい人

岩殿山正法寺 の注意点、欠点
・山の中腹に位置するので車かバスで向かった方が良い

岩殿山正法寺 へのアクセス

住所:〒355-0065 埼玉県東松山市岩殿1229
最寄駅は東武東上線高坂駅
徒歩で20分ぐらい。鳩山ニュータウン行きバスで大東文化大学前で下車なら徒歩三分ぐらい。
注意事項:車かバス推奨


岩殿山正法寺 のみどころ

山の中腹に入り口があるのだが、

山を登っていたのに降るという感覚が既に面白い。
同行していた相方いわく「なんだかダークソウルみたい」との事だった。
その感覚わかるが、どちらかと言えば「隻狼」な気もする。

本堂まで

降っていくと、そこは緑あふれる秘境感や聖地っぽさが既に満開。

この景色が冒険感をかきたてるぞ!

本堂

真っ直ぐに降っていくと本堂に到着。

こじんまりとした造りだが確かな歴史を感じさせる趣き。

かつては六十六ケ坊を擁する大伽藍があったというが現在はこじんまりとしている。

かなり味わい深い。この色褪せたような風合いがたまりませんな。

前述の通り正法寺は過去に何度も焼亡しているが、明治十年にも失火しており、現在のお堂は明治十二年に高麗村から移築したものだという。

本尊 岩殿観音(千手観世音菩薩)

こちらが本尊である千手観音。

鎌倉初期の作風といわれる千手観音像。

千手といっても手の数は控えめ。とはいえ、このミニマムな造りが良いな。金色だけども地味な造形に惹かれるものがある。
この千手観音が坂上田村麿の悪竜退治伝説に関わっているという。

何でも山中に一箇所だけ雪の積もらない場所が出来たことで、そこが悪竜の住処であることを伝えたという。
そして田村麻呂は観音から授けられた一本の矢で退治することが出来たのだとか。

めちゃくちゃ霊験あらたかな観音様やないですか。

正法寺の大銀杏

みごとな大銀杏の大木。
この複雑にからみあった根の部分が実に見事。秋にくればさぞかし綺麗なんだろうなあ。

ちなみに、この銀杏の木は仮面ライダー鎧武の劇中に登場する「鎮守の森の御神木」の合成素材として使われたそうだ。

石仏

岩肌をくり抜いた穴に収められた石仏。四国八十八ヶ所、日本百観音の写し本尊。

薬師如来

時勢を考慮してなのか薬師如来の像が特別に開帳されていた。

こうして見るとヒーローフィギュアっぽさがある。
最近では若い世代でも仏像を買い求める人が増えてきているという。その感覚、なんとなく分かる気がした。

水子地蔵

関東百八地蔵尊の第十三番と書かれた正法寺の地蔵尊。

水子供養だけでなく子育ての御利益もあるとのこと。
決してホラーなどではない。

階段から見える景色

仁王門を登った頂上からみた景色。情緒があって実に素晴らしい。


正法寺の歴史

開基はかなり古く沙門逸海という僧が七一八年に起こしたといわれ、修験道の開祖である役小角とも関連があるとも言われている。

かつては六十六カ坊を擁する大伽藍だったというが、数々災難に見舞われ今では堂塔は殆どない。
この寺の盛衰はまことに激しかったという。

観音信仰にあつい源頼朝の命により比企能員が復興したが、その後に能員が北條時政のために自害をせまられて死去、その嫡子である時員は追手を逃がれて出家し、この寺を護ったという。

室町時代には坂東武者を中心に参拝者が訪れ大いに栄えたが永禄十年(一五六七)松山城合戦の兵火で焼亡し、僧徒たちは離散。荒れ放題になっていたところ、天正二年(一五七四)に栄俊というが中興した。
ところが、寛永年間及び明治十年に失火。現在のお堂は明治十二年高麗村から移築したものだという。

本尊は千手の坐像であり、鎌倉初期の作風と言われ、他にも万治二年(一六五九)水野石見守忠貞奉納の「明版一切経」や慶長以前の記録である「正法寺文書」など貴重な寺宝が揃っている。

比企氏との関係

源頼朝は観音信仰にあつかったとも言われ、頼朝の乳母である比企尼の甥である比企能員も伊豆配流時代から頼朝を支援していたため、その恩に報いることもかねて復興を命じたとされる。
また、頼朝の妻である北条政子の守り本尊でもあるという。

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