伊東祐親が八重姫の子供を投げ捨てた場所、稚児ヶ淵(静岡県伊東市)は歴史と違ってヒーリングスポットだった

八重姫と源頼朝の子供である千鶴丸(ちづるまる)であったが、平氏に知られる事を恐れた伊東祐親によって渓谷へ投げ捨てられてしまった、という伝承がある。その子供を投げ捨てた場所というのが静岡県伊東市にある稚児ヶ淵。
歴史では赤子を投げ捨てた場所ということで心霊スポットかと思ったが、実際は自然あふれるヒーリングスポットだった。

なお、神奈川県にも同名の場所があるが、違うものなので要注意。

おすすめ度

評価 :4/5。

稚児ヶ淵(静岡県伊東市)の個人的評価

現地に行くまでは「心霊スポットみたいな場所かな」と思っていたが、降りてみたらマイナスイオン溢れる自然豊かな場所でとても癒やされた。

伊東祐親が八重姫の子供を投げ捨てた場所、稚児ヶ淵(静岡県伊東市)は歴史と違ってヒーリングスポットだった

稚児ヶ淵(静岡県伊東市)の楽しかったところ
マイナスイオン溢れる川のせせらぎと水の美しさ

稚児ヶ淵(静岡県伊東市)はこんな人におすすめ
歴史の悲劇に触れたい
伊東祐親と八重姫ゆかりの地を訪れたい
静岡県で自然に触れたい

稚児ヶ淵(静岡県伊東市)の注意点、欠点
降りるのが大変なので足腰弱い人は要注意

稚児ヶ淵(静岡県伊東市) へのアクセス

住所:〒414-0054 静岡県伊東市鎌田
最寄駅:伊東駅
徒歩:遠すぎて知らん。たぶん60分以上はかかる。
注意事項:麓までの道程が整備されていないので降りる際は慎重に。トレッキングシューズを履いていったほうが安心。


稚児ヶ淵(静岡県伊東市) のみどころ

伊東市に着くなり歩くのが面倒くさくなったワシ。なので伊東祐親ゆかりの地めぐりは贅沢にもタクシーを借り切って行うことにした。
と、いう訳で音無神社伊東祐親の墓やらまわった後に稚児ヶ淵までやってきた。

ところが、この稚児ヶ淵、タクシーの運転手さんも知らなかったらしい。

とりあえず12号線をカインズ伊東店方面に向かってもらい、伊東大川沿いの山道みたいなトコロを進んでいたら、いつの間にか到着。

タクシーの運転手さんも「こんなところ初めて案内したw」と驚いていた。

ウォーキングコースには良いかもね。当日のワシにはそんな気力は無かったが。

朝露に咲きすさびたる鴨頭草《つきくさ》のひくたつなへに消ぬべく思ほゆ
万葉集が彫られた石碑。日が傾くとともに萎んでゆくツキクサを千鶴丸に例えたのかどうかは知らん。

そんで、ここを降りろってか?

手入れがされてるのか、されてないのか微妙。こんなこともあろうかとトレッキングシューズを履いていたので、気をつけて降りれば滑ることは無さそう。

ぜんぜん手入れされてない!!ほとんど獣道やんけ!!足を滑らせるのも怖いが蛇とか出てきそうで怖い。いちおう観光スポットなんだから、それなりに手入れしてほしいものである。

そんなこんなで麓に到着。

滝を発見。

川底は浅いが、入ったら足を滑らせて流れていきそう。まるで人工物のように急な段差だなあ。

水が透き通っていて、とても美しい。川底まで見える。深くないみたいなので溺死する心配はなさそうだ。

川のせせらぎと周囲を取り囲む木々でマイナスイオン全快。これまでの旅の疲れが吹き飛ぶようで、自然の癒やしとはまさにこのこと。とても赤ん坊を殺害した場所とは思えませんな。

伝承によれば、伊東祐親は千鶴丸に重石を括り付けたうえで川底に投げ込み溺死させた、とあるが周囲を見る限りではそれほど深い場所には見えない。

きっと、溺死ではなく落下死だろうと勝手に納得することにした。

なんと、野生の柑橘類が生っている!そういえば、伊豆は柑橘類が美味しいと教わったのにまだ食べてなかった。
もちろん、コレをもぎ取って貪り食うほど育ち悪くないので心配ご無用。


稚児ヶ淵(静岡県伊東市) の概要と解説

稚児ヶ淵(静岡県伊東市) の歴史

伊豆に配流となった源頼朝は伊東の領主である伊東祐親の娘である八重姫との間に千鶴丸という男児をもうける。
しかし、平家を恐れる祐親によって沈められてしまう。

それが、この稚児ヶ淵。

かつては、くもが淵、とどろきが淵、松枝が淵と呼ばれていたそうだが現在では稚児ヶ淵と呼ぶのが一般的になっている。

千鶴丸についての異なる伝承

伊東祐親に殺害された千鶴丸だが異なる伝承もある。

伊東氏の子孫である「伊東まで」さんによると、祐親は孫を殺害したように見せかけ、密かに甲斐源氏の影響が強い甲斐国へと逃していたのだという(駿河国には甲斐国に通じる道があったとも言われている)

また、別の伝承によると征夷大将軍になった頼朝は生き延びていた千鶴丸を探し当て、名を「時義」として岩手の和賀家の養子にしたという説もある。

和賀家は秀吉の小田原征伐に遅れて自害したが、生き残った子孫は伊達家が面倒をみたことで現在も東北に千鶴丸の子孫達が残っているのだとか。

なお、伊東までさんは「八重姫慕情」なる詩を書き上げているが、その詩は八重姫御堂のある真珠院の境内にて見ることが出来る。

伊東祐親について

平安時代末期の武将、伊豆国伊東の豪族。
平清盛からの信頼を受け、伊豆に配流されていた源頼朝の監視を任されたが娘の八重姫と頼朝が恋仲になり子供を儲けたことで大激怒。孫の千鶴丸を川底に沈め、頼朝も殺害しようとする。

この記事が面白かったらフォローお願いします!
NO IMAGE