静岡県伊豆の国市にある北条氏邸跡(円成寺跡)は鎌倉幕府の初代執権でおなじみ北条時政が鎌倉に本拠を移す前に住んでいたとされる史跡。
北条時政はじめ北条執権家ゆかりの場所を散策したい人にはオススメの場所だ。
なお近隣には時政の息子で鎌倉幕府第二第執権である北条義時の墓がある北条寺や時政の墓がある願成就院などがあるので効率的に鎌倉時代ゆかりの史跡をまわることが出来る。
静岡県伊豆の国市にある北条時政らが住んでいた北条氏邸跡(円成寺跡)
北条氏邸跡(円成寺跡)はこんな人におすすめ
北条執権家が好き
鎌倉時代の史跡に興味がある
歴史が始まった場所に触れたい
北条氏邸跡(円成寺跡)へのアクセス
住所: 〒410-2122 静岡県伊豆の国市寺家13
最寄駅:韮山駅
徒歩:約15分
北条氏邸跡(円成寺跡)のみどころ
北条政子産湯の井戸の近くに案内板が立っているので、ついでにまわると効率的。
この道なりに進んでいくと自然に着くので特に困ることはないと思う。
さっそく到着。
これは立派な大木ですな。何の木か知らんけど。
北条氏邸跡(円成寺跡)
この場所がある守山の周辺には願成就院や真珠院といった仏教寺院や守山八幡宮などがある。
境内の広さや周囲にある建築物からすると、当時の一帯はそれなりに立派な場所だったのではないだろうか。
時代がだいぶ移って14代北条高時の母の円成尼が北条一族の菩提寺として邸宅跡に寺を建立。14世紀から15世紀後半ごろに山内上杉氏の庇護を受けておおいに栄えたという。
現在は広い野原が広がっている。
こうして見ると意外と広いが柵で囲ってなきゃ史跡かどうか判らん。しかし、権勢をほこった北条家ゆかりの地でも一度でも滅びればこうなってしまうのか。諸行無常ではあるが、後の時代に観光資源として活用することを考えると少し勿体ない気がする。
北条氏邸跡(円成寺跡)の概要
北条氏邸跡(円成寺跡)の歴史
北条氏邸跡(円成寺跡)は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所。
この場所がある守山は鎌倉時代に伊豆北條と呼ばれ北条氏の本拠地だった。氏寺である願成就院が建てられ、谷の内部には館があったとされ北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの拠点であった。
伊豆に配流された源頼朝が北条政子と出会い、北条時政の後ろ盾を得たことで平家打倒を志し鎌倉幕府成立に至る。
そういった視点でみると、まさにこの北条氏邸跡は日本の歴史が動いた場所だと言える。
元弘2年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めにより鎌倉幕府が滅亡した後、逃げ延びた北条一族の妻や娘たちはこの地に戻った。
そして、北条高時の母である円成尼(えんじょうに)が中心となり、館跡に寺院を建て北条氏の菩提を弔った場所が円成寺である。
室町時代には内上杉家の庇護を受け、上杉氏の女性が歴代の住持となり尼寺として繁栄した。
しかし江戸時代中期に火災により消失。そのまま廃寺になってしまう。
それから長い時が過ぎた平成4年(1992)から平成5年(1993)にかけて発掘調査が行われ、平安時代末から鎌倉時代にかけての大量の出土品や建物跡(礎石建物跡や庭園の遺構、)が発見され、北条氏の館があることが確認され国指定史跡に指定される。