大谷本廟は親鸞聖人の廟所であり、その場所は三大風葬地のひとつ鳥辺野の地に建てられている。無数の墓地が立ち並ぶ姿には人生の無常を感じさせる
大谷本廟,かつての風葬地・鳥辺野に佇む巨大墓地
浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の廟所とされているのが東山区にある大谷本廟。弘長2年(1262年)の11月28日に亡くなった親鸞はこの鳥辺野という場所で火葬にされた。
この鳥辺野という地は京の三大風葬地のひとつ。平安京では火葬にされるのは高貴な生まれの者だけで、それ以外の平民は火葬ではなく、遺体を野ざらし状態で風化させたり、鳥獣に食わせるといった風葬・鳥葬で処理されていた。
風葬の過程は仏教絵画である「九相図」などにみることが出来る。
また、浄土真宗の親鸞聖人といえば、師である法然の教え(難しい教義を知ることも、苦しい修行も、立派な寺院も必要なく、ひたすらに「南無阿弥陀仏」を唱えることが大切だと説いた。)を深化させ、一念発起(一度信心をおこして念仏を唱えれば、ただちに往生が決定する)や悪人正機説を説いた事でも知られる。
その明快さからか、地方武士や農民、とくに下層民から篤く支持され勢力を拡大したのだが、そんな親鸞聖人の廟所が、この鳥辺野に置かれているというのは考えさせられるものがある。
一方で、親鸞聖人の具体的な火葬場所は不明で大谷本廟以外にも大谷祖廟・霊山本廟など様々な説がある。
アクセス
住所:〒605-0846 京都府京都市東山区五条橋東6丁目514
最寄り駅
京阪本線 清水五条駅
駐車場
駐車場あり(約30台)お彼岸・お盆時期等は駐車場が閉鎖
公共交通機関の利用を推奨
大谷本廟の見どころ
かつて鳥辺野とよばれていた地域は、京都市の東山区から東山西麓の地域。現在の五条坂から今熊野付近にかけての広い地域で京都最大の風葬地であったと言われている。
この大谷本廟の坂を上がると、墓また墓。とにかく墓だらけ。さすがに京都三大葬送地として知られている場所なだけあって、ここにはたくさんの墓がある。
遠くには五条バイパスが見え隠れしており、その手前一帯の山肌一面もひたすらに墓、墓、墓。
この丘陵の地形が、風葬地に適していたとして、三大風葬地の中でも最大の葬送地であったとも言われている。
鳥辺野が葬送の地として知られるようになったのは平安中期ごろ、『源氏物語』では光源氏の正妻・葵上が荼毘に付されるようすが記されている。
近世以前では庶民の墓には墓石がなく、卒塔婆が立てられているだけで近世以降は大谷本廟から清水寺にかけて墓地が集中していたようだ。
愛宕寺はかつて鳥部寺とよばれ,また少し西には珍皇寺,六波羅蜜寺なども建立されており,往年の鳥辺野がかなり広大な葬送地であったことが伺える。
特に珍皇寺は鳥辺野への入り口とも考えられていて、「あの世とこの世の境目」と伝わる六道の辻が有名だ。
なお、北部が(現在の五条通周辺地域)は、平民らの葬送の地で、南部が、貴族や皇族の葬送の地であったという。
右手に見えるのが、第一次上海事変で敵陣めがけて自爆し、突撃路を開いた英雄とされる肉弾三勇士(爆弾三勇士)の墓碑。
この石窟は親鸞聖人が学問のために籠もった場所と言われる。
これだけ墓を見続けると、恐怖や忌避といった感情はわかない。只々、この世の無常感だけがそこに広がっている。