ジェイムズ・ヒューバティ外国人ヘイト系大量殺人者!!

ジェイムズ・ヒューバティは不幸が重なった事で外国人へのヘイトを募らせ、サン・イシドロ・マクドナルド銃乱射事件という大量殺人事件を引き起こした人物。

ジェイムズ・ヒューバティ外国人ヘイト系大量殺人者!!

1943年、アメリカ・オハイオ州出身のヒューバティは生まれた時にポリオウイルスに罹り、歩行障害を患っていた。
しかも、子供の頃に両親が離婚したうえ、父母双方から養育することを拒まれたヒューバティは、貧しく、不幸な少年時代を送っていた。
だが、真面目で努力家の彼は逆境を跳ね除け、大学に進み社会学を専攻。
やがて溶接工の職を得ながら真面目に働いた。やがて結婚して、家を買い、2人の娘とともに一家4人の幸せな家庭を築いたのだった。

だが、勤務していた工場が倒産し、突然、職を失ってしまう。
生活苦にあえいだ彼はは家を売却して一時を凌ごうとしたのだが、この時の取引で騙され、かえって損をしてしまうのだった。

そこで、ヒューバティはメキシコに渡り、一生懸命働いたのだが、言葉の通じない外国での生活は辛く、逆境には強いはずの彼も、精神を病んでしまった。

やがてメキシコ人は言葉の通じない自分を差別していると思いはじめたヒューバティは、メキシコ人をはじめとするヒスパニック系の人間すべてを恨むようになった。

アメリカに帰国したヒューバティは警備員の職につくも解雇され完全にノイローゼに陥る。
そして精神科医にカウンセリングの予約をいれるもキャンセルされた事で完全にブチギレたのだった。

FN ブローニング・ハイパワー、UZI カービン、ウィンチェスター M1200 ポンプアクション式ショットガンを持ち人手の多い場所を探していたヒューバティがマックを通りかかると、そこにはマクドナルドがあった。

そしてマックの店内にはヒスパニック系の移民でごった返していたのだった。それを見た瞬間にヒューバティは銃を乱射したのだった。弾丸を補充しながら銃を乱射。警察官に包囲され射殺されるまでの一時間半の間に死亡者21人、負傷者19人の犠牲者を出した。

この事件は後にサン・イシドロ・マクドナルド銃乱射事件と呼ばれたのだった。

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