聖徳太子の側近である秦河勝が太子から仏像を賜りそれを安するために建立したとされるのが広隆寺。秦河勝は摩多羅神と同一視される人物だ。
摩多羅神と同一視される秦河勝を祀る広隆寺
広隆寺と摩多羅神,秦河勝
広隆寺は大酒神社から西に数百メートル行ったところにある寺院。本尊は聖徳太子。
7世紀ごろのものとされる国宝の弥勒菩薩半跏像が伝えられている。日本の古代の仏像としては他に例のないアカマツ材で作られているため、大陸ないしは朝鮮半島から渡ってきたものと考えられている。
ただ、秦河勝が太子から賜った仏像が、この弥勒像なのかは不明だ。秦河勝というのも謎めいた人物である。
伝説によれば、洪水のときに川上から流れてきた壺のなかに赤子があり、これが後に秦河勝となったとされる。
成長後は聖徳太子の側近として活躍し、用明天皇2年(587)の丁未の乱では、太子を守護しつつ物部守屋の首を斬ったという。
しかし、太子の死後、うつぼ船に乗って都を去り、播磨国に漂着。そこで祟り神になったと伝えられているほか、障礙神とされる摩多羅神と同一視する考え方もある。
なお、余談であるが日本最古のカルト宗教「常世(芋虫を信仰する宗教)」を滅ぼしたのは秦河勝。
これは私財を投じて破産する者が多かった為、民の身を案じての事だったと言われている。
摩多羅神は虐げられし者の神とも言われている事から、カルトに騙される民衆を救った河勝が同一視されるのも納得出来るかもしれない。
広隆寺はこんな人におすすめ
・ 芸能関係のご利益が欲しい
・ 京都最古級のお寺に参拝したい
・ 摩多羅神に興味がある
住所
住所:〒616-8162 京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
最寄駅
京福電気鉄道嵐山本線 太秦広隆寺駅
駐車場
駐車場あり