養源院の血天井

京都にある伏見城には、その家臣が自刃した後、拭っても血が消えない床板が残された。これが供養のため天井に使われ「血天井」として伝わっている

養老院は伏見城の血天井が使われている寺院のひとつとして伝えられている。

養源院の血天井

養源院の血天井とは

秀吉の没後に家康が入城し、慶長5年(1600年)鳥居元忠に伏見城を預けて会津攻めに向かった。その隙を好機と見た石田三成が反家康派の諸大名を集めて挙兵、伏見城へと攻め込んだ。

宇喜多秀家ら城攻めの軍勢は4万、城を守る元忠ら譜代の家臣は1800。戦力の差は圧倒的だったが、元忠らは2週間近く粘り抜く。

しかし、最後は火を放たれ、譜代の家臣は城内で自刃して果てた。

元忠らが命を絶った城内の床が、「血天井」として京都市内数カ所の寺院に伝えられている。床板にして踏むには忍びなく、供養のため天井板にしたという。

その伏見城の血天井が使われている寺院のひとつが、秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のため創建した養源院だ(ちなみに血天井は撮影禁止)

養源院はいったん焼けた後、伏見城の遺構で再興された寺院だ。その再興を幕府に願い出たのは淀殿の妹、徳川秀忠へ嫁いだ江(崇源院)であった。

しかし、徳川側は豊臣家の建てた寺を再建できないと拒絶。

そこで、伏見城で自刃した徳川家の家臣の血で染まった廊下の板を天井に上げ、「血天井」のある徳川家の寺として再建されたのが今の本堂だ。それ以降、歴代将軍の位牌を祀る寺となった。

アクセス

住所:〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り656

最寄駅

東山七条(バス)

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