崇徳天皇の怨霊を鎮める白峯神宮

日本三大怨霊のひとりである崇徳天皇の怨霊を鎮めるため,明治天皇によって創建されたのが京都の白峯神宮だ。

崇徳天皇の怨霊を鎮める白峯神宮

崇徳天皇と白峯神宮

上御霊神社から南西に進んだ場所にあるのが日本三大怨霊のひとり崇徳上皇を祀る白峯神宮だ。

しかし、平安時代の人物である崇徳天皇に対して、白峰神宮の創建年は新しく、明治に改元する2日前の慶応4年(1868)9月6日となっている。

これは、若き明治天皇が讃岐国・白峰山陵から崇徳上皇の御霊を遷し、白峯神宮創建を決意した事にちなんでいる。

鳥羽天皇の第一皇子であった崇徳は、白河法皇の力添えによって若干5歳で天皇に即位。

しかし、退位させられた父の鳥羽天皇は崇徳と白河法皇に強い敵順心を抱き、白河法皇が亡くなると、鳥羽上皇は権力を掌握し崇徳天皇を退位させる。

代わりとして崇徳の弟で弱冠3歳の近衛天皇を即位させる。鳥羽上皇の死後も、崇徳院は上皇が擁立した後白河天皇と激しく対立。

これが元となって、保元元年(1156)に保元の乱が勃発。

この乱に敗れた崇徳院は讃岐へと流されたが、その地で仏教に深く傾倒し、五部大乗経(法華経・華厳経・涅槃経・大集経・大品般若経)の写本を完成させ、これを京の寺に収めてほしいと差し出したのだが後白河院により「朝廷を呪うためのもの」として突き返される。

これに激怒した崇徳院は舌を噛み切り、その血で「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と、写本に呪詛を書き足し絶命。

その後、後白河法皇の周りでは不審な死が相次ぎ、都では天変地異、安元の大火や強訴などが巻き起こることになった。

なお、崇徳上皇の呪詛が書き連ねられた写本のことを「血書五部大乗経」という。

白峯神宮はこんな人におすすめ

・ 崇徳上皇をまつる場所に行きたい

・ 日本三大怨霊関連の場所に行きたい

住所

住所:京都府京都市上京区飛鳥井町261

最寄駅

京都市営地下鉄烏丸線 今出川駅

駐車場

無料駐車場あり

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