ジョン・ブレナン・クラッチリーは裕福な家庭の出身だったが両親の性的虐待により殺人鬼に変貌してしまったのだった。
ジョン・ブレナン・クラッチ自宅に拷問部屋をつくった変態殺人鬼!!
ジョン・ブレナン・クラッチリーは1946年、裕福で、教養のある家庭で生まれたのだが、両親は変人で常にクラッチリーを女装させて育てていた。
それが原因となり10代になると神経症になってしまい、カウンセリングを受けたこともあったのだが、治療は失敗し、バイセクシャルのサディストに成長してしまう。
成人した彼はNASAの下請け会社にコンピュータ・プログラマーとして勤務し結婚もして妻子もいたが、その陰では変態クラブに通っていた。
そこでは日々異常な性欲を満たしていたが、その欲望は収まるところをしらなかった。
ある日、クラッチリーは妻と子供が泊まりがけで外出している間に、自宅の地下室に拷問部屋を制作。
そして、ヒッチハイクをしている女を見つけ、親車に乗せたあとは首を締めて失神させて、自宅の拷問部屋へと運ぶのだった。
ビデオとライトをセッティングし、目を覚ました女性を暴行。その後、注射器で被害者の血を飲み、「自分は吸血鬼だ」と叫んだのだった。
こうして何人もの女性を誘拐し、何度も暴行と採血を繰り返し殺害するという事を繰り返していった。
1985年のある日のこと、クラッチリーは20代の女の子をいつものように自宅に拉致監禁したのだが、この娘がバスルームの窓から逃げだし、助けをもとめたことで、クラッチリーの犯罪が明るみに出てしまう。
クラッチリーは被害者たちからアクセサリーやクレジットカードなどを奪い、パソコンには被害者女性たちの名前と電話番号と具合の良さなどを評価しカード化して保存していたのだが、警察の初回捜査の対応が悪かった為、これらの証拠の多くが押収されなかった。
そのため、逮捕前にクラッチリーは殺人ビデオやこれらの証拠品のほとんどを処分してしまったため、多くの殺人事件が発覚してからも、証拠不十分で判決は25年から無期の懲役となった。