ゲーザ・デ・カープラーニ,夫婦生活の破綻から殺人鬼になった医師!!

ゲーザ・デ・カープラーニはハンガリー出身の医師で自身の妻を残酷な手法で殺害した人物としても知られている。
彼の鬼畜な犯行は更生保護委員会による情状酌量の端的な例として、死刑支持者から取り上げられる事も多い。

ゲーザ・デ・カープラーニ!!夫婦生活の破綻から殺人鬼になった医師!!

ゲーザ・デ・カープラーニはハンガリー出身で、後にアメリカに移住。そこで医学を学び、医学博士にもなった。
1962年にはカリフォルニア・サンホセの病院に勤務するようになっていた。また、エリートのうえハンサムで、プレイボ
ーイとして派手に女遊びを繰り広げていたが、16歳年下の美人モデル、ハイナと出会い結婚したことで彼の人生は狂い始め殺人鬼になってしまう。

カープラーニはこのハイナに夢中になり、口説きまくって、ついに結婚することに成功する。

だが、カープラーニの喜びは長くは続かなかった。なぜか、この美人妻を前にするとカプラニーは性的不能になってしまうのだった。しかし、ハイナは性格もいい女で、健気にも夫を慰め、このことは絶対に秘密にするとまで約束した。

だがそれが逆にハイナの夫の逆鱗に触れた!

カープラーニは「自分の留守に肉欲に身体を火照らせた妻が、同じアパートメントに住む住人たちとセックスしまくっているにちがいない」と思い込んだ。

勤務先の病院でも仕事が手に付かず、こうしている間にも妻は男と寝ているという妄想に狂った。
そして、1963年8月、アパートの住人たちは、カプラニーの部屋から聞こえる女の悲鳴に警察に通報した。

警官が踏み込むと、そこには両手に手術用手袋、パンツ1枚のカープラーニが血まみれの笑顔で現れた。

室内に入ると、全裸の妻は身体をズタズタにされて死んでいた。彼は妻を素っ裸にし、手足を縛って、メスで全身を切り刻みその傷口に硫酸や塩酸をかけていたのだ。

カープラーニは現行犯逮捕されたが、裁判では心神喪失だったと主張。

また、妻を殺害するつもりはなく、単に美貌を損ねようとしたのだと供述したが、裁判途中で妻の写真が提示される
と、突然、彼は取り乱し、「妻を愛していた! 私は有罪だ!」と泣き崩れ、終身刑を言い渡された。

だが、なぜか2年の刑期で釈放された後に20年以上に渡って行方不明となる。
その後、、2002年のドイツで発見され、現在は再婚。

ドイツに帰化しているためアメリカに身柄を引き渡すことは不可能となっているという。

関連記事

テストステロンと犯罪行為の関係

この記事が面白かったら応援フォローお願いします!
NO IMAGE