ジェラルド・スタノは幼少期に母親に虐待を受け続け、成人後に女性42人を殺害したアメリカのシリアルキラーだ。
ジェラルド・スタノ女性42人を殺害したシリアルキラー
1951年、アメリカ・プロリダ州出身のジェラルド・スタノは売春婦の私生児として生まれた。この母親は生まれてすぐに育児放棄した上に、成長後も過剰な折檻をするような人物だった。やがて、この母親から引き離され、養子として里子に出されるも、母親からの虐待は、スタノのトラウマとなり、彼を歪んだ人間に成長させたのだった。
成長したスタノは車と音楽、ファッションにしか興味のない俗物で、他人から自分の車や好きな音楽、服をけなされるとすぐにキレて暴れ回る上に、異常なナルシストで非常にブライドが高いうえ「なぜハンサムなオレ様がなぜモテないのか」と常にイラだっている人物だった。
そしてスタノは1973年に、最初の殺人を犯す。
車でナンパに出かけたスタノは家出少女を引っかけたのだが、行為を拒否された事で激昂。
キレたスタノはナイフで切りつけ、首を絞め、相手が失神すると、意識が回復するまで待ち、ふたたび泣きさけぶ女を切り刻んだのだった。
この時にスタノは普通では得られない快感を得たことで更に犯行を重ねていく。
程なくして、同じ様にいたぶりながら2人の女性を殺害。
女の子の首を絞めては失神させ、気がつくとナイフで痛めつけるのを繰り返し、ぐったりした彼女を暴行し、満足するまで性のオモチャにしてから殺害した。
やがて、殺しの方法はエスカレートし、ナイフだけでなく、銃を使ったり、溺死させたりと場合によって使い分け、殺した後も、死体を犯すなどして被害者を辱めた。
いったん、殺しの味を覚えたスタノは、キレて殺人を犯すのではなく、相手をいたぶりながら、少しずつ殺していく快感を追求しはじめる。こうして、わずか8年の間に女性ばかり42人が殺害されたのであった。
最終的には、彼のもとを逃げだした運のいい被害者の通報で逮捕されてしまう。
1980年に逮一捕されるまでの間に、スタノは少なくとも2人の女性を殺害したとされる。 死刑判決を受けている。