ゲイリー・ギルモアはアメリカの殺人鬼で弁護士を通じて死刑を要求した人物としても知られた人物だ。
ゲイリー・ギルモア,理由なき連続殺人鬼
1940年、アメリカ・テキサス州出身。
父親は詐欺師で、偽名を使いながら全米を移動し横領、詐欺で逮捕され服役経験がある人物で、母親はモルモン教徒の農家に生まれた普通の娘だったが、結婚後は二人で新聞社相手の広告詐欺をしながら全米を移動していた。
やがて、子供ができると父親は妻子に暴力を振るうようになり経済的にも精神的にも不安定な環境で成長する。
そんな環境で育ったからか、マーク・ゲイリー・ギルモアは子供の頃から粗暴で数々の犯罪的行為を繰り返しており、10代半ばの時点で、3回以上も不法住居侵入で逮捕されていた。
また、ギルモアは他者に対して異常な敵意を抱いており、すぐにキレては暴力を振るう事を繰り返していた。
これにより多数の更生施設を転々としており、実社会よりも施設での生活の方が長く、ギルモアは社会への適応能力がまったくない男だった。
そんな人物だからして、ギルモアが殺人を犯すのに時間はかからなかった。
保釈の身となったギルモアは、トラックでガソリンスタンドに立ち寄った際に、バイトの大学生を銃で
脅し、金を奪ってはトイレに連れていき、後頭部に2発、発砲して殺害。
翌日、乗っていたトラックが故障したので、ギルモアは修理してもらおうと、モーテルに立ち寄
った。
モーテルの管理人は快くトラックの修理を引受けたのだが、ギルモアは突然、彼の後頭部を銃撃して殺害。
この時、とってつけたかのように、現金をモーテルから奪ったのだった。
金が欲しくて強盗したというのではなく、発作的に殺してしまったから、強盗という理由を後か
らくっつけたといった感じで、この2件の殺しには、理由がない。
この理由のない異常な犯行に対して、ギルモアは死刑判決を受ける。
ギルモアの家族はこの判決に異を唱えるが、当人は弁護士を通して死刑を強く望んだのだった。
しかも、ギルモアの「弟・マイケルの書いたギ、ルモアに関するドキュメント『心臓を貫かれて」はベストセラーとなったことで、この事件にアメリカ全土が注目する事になり、死刑の是非をめぐる議論のきっかけとなった。
やがて1977年、ギルモアの銃殺刑が執行された。これはアメリカで10年ぶりの死刑となった。