ダグ・クラークとキャロル・バンディのシリアルキラーカップル

ダグ・クラーク(ダニエル・クラーク)とキャロル・バンディ、サンセット・ストリップ・キラーズとよばれたシリアルキラーのカップルが80年代のアメリカに存在していた事をご存知だろうか。

ダグ・クラークとキャロル・バンディのシリアルキラーカップル

Douglas Clark

1948 年アメリカ・ロサンゼルス出身のダグ・クラーク(ダグラス・ダニエル・クラーク)は海軍情報将校であるフランクリン・クラークの息子として生まれ、父親の仕事のために頻繁に引っ越し海外を転々とする生活だったと本人は主張している。
青年期はカルバー陸軍士官学校に通い米国空軍に入隊していたようだが除隊。
その後の10年間は民間に就職していたようだが、極めて粗暴なうえ欠勤が多かった為 長くは続かなかったようだ。

一方、1942 年生まれのキャロル・バンディはアルコール依存症の両親の元で育ち、母親がなくなった11 歳頃から父親から性的虐待を受けながら育つ。
これまでに三度の結婚をしており、初婚は17歳の頃。相手は56歳という事から典型的な男性に依存するタイプの女性だった。

ダグ・クラークと出会う直前までパートタイムのシンガーと不倫しており、別れた後もコンサート会場へ頻繁に現れ、半ばストーカー気味につきまとっていたという。

そして、そのコンサート会場に現れたのがクラークだった。依存できれば誰でもいいタイプのキャロルはクラークと交際を始め、そして出会って間もない1980年に最初の犯罪を犯す。

まず、15歳と16歳の少女を暴行しながら頭を銃で撃ち抜いたのだった。これらの殺人の快感を分かち合おうと提案し、キャロルは大喜びで受け入れたのだった。

ふたりは車でLAのサンセット ストリップを往来して、犠牲者を物色。売春婦を買い漁りながら犠牲者を増やしていった。

何人かを殺した後にバンディは死体の首を切ることを提案。被害者の頭部を切断すれば事件は「頭のおかしいヤツの仕業」だと思われるから、自分たちには容疑が及ばないという無茶苦茶なものだった。

そしてクラークは売春婦の首を切り取り、バンディは生首に化粧を施すのだった。

これらの事件は「サンセット・ストリップ・キラーズ」の仕業とされ、人々から恐れられるようになった。

だが、数々のティーンエイジャーの女の子たちを殺した後に、今度はバンディの前カレを殺害したことで事件の捜査上にバンディが浮上。

そして、二人とも逮捕されてしまったのだった。

クラークはガス室送りとなり、バンディは終身刑となった。

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