柴又女子大生放火殺人事件の現場を歩く。

柴又と聞くと「フーテンの寅さん」が真っ先に思い浮かぶと思うが柴又には1996年9月9日発生した警視庁三大未解決事件のひとつ「柴又女子大生放火殺人事件」が起きたところでもある。今回はその現場が今どうなっているか見てきたので案内しようと思う。

柴又女子大生放火殺人事件の現場を歩く。

現場の最寄駅となる京成金町線柴又駅。柴又帝釈天があるためか昔を意識したフォントである。帝釈天への参拝はまた今度に。
現場の最寄駅なので事件についての看板もある。毎年9月9日は駅で管轄の亀有警察署長を始め刑事の人が事件の情報提供を求めるビラを配布している。
まだ、犯人は逃走中である。

事件の簡単な概要は、警視庁のホームページ(外部リンク)によると平成8年9月9日被害者の母親が外出した午後3時50分ころから、119番通報があった午後4時39分までの間、葛飾区柴又3丁目被害者宅2階において、被害者の女子大学生が刃物で殺害された上、自宅を放火されるという事件である。

現場のある柴又二丁目は駅から徒歩10分ほど。改札口を出て踏切を渡ると寅さんの時代からあるだろう酒店が見える。
そこを右に曲がる。柴又帝釈天参道以外は至って普通な住宅地が広がる。
そうすると、このような道が出てくるので直進する。葛飾区内はどうも真っ直ぐな道が少なく、特に住宅地となると説明が大変である。
そしてその道をひたすら直進する。
歩いて行くとオレンジ色のカーブミラーがあるのでここを右折する。
右折してすぐの場所に消防団の倉庫がある。まさにここが柴又女子大生放火殺人事件の現場だ。

事件当日は雨が降る寒い日であり、被害者の女子大生以外は出かけており、家には被害者以外いなかったそうだ。そして午後4時39分に隣の家から火災の119番通報が入り、その2時間後に消化。消防隊が2階で布団に両親の寝室のベッドの上で首を中心に6箇所刺されている状態で発見された。彼女は2日後にはアメリカへの留学を控えていた。無念でならないと思う。

寄贈者に遺族の名前が刻まれている。殺人現場となってしまったから遺族もまた家を建てられなかったから寄贈されたと思われる。

彼女は首を刺されていただけではなく口にガムテープを貼られ、手は縛られている状態だった。強盗目的かいわゆるストーカーなのか、真相は分からない。

また、着衣の乱れもなく顔見知りによる犯行とも考えられたがどれもこれといった確信的な情報は出てこないのが現状だ。

そして、消防隊倉庫の敷地内には「順子地蔵」被害者の名前から取った地蔵が祀られている。
銘板には遺族の犯人逮捕。事件解決への思いが刻まれている。

柴又の現場のレポートは以上である。このような凄惨な事件に遭うと遺族の時間は止まってしまう。残された遺族の生活にも大きな変化をもたらしてしまう。このような事件に巻き込まれないためにも、そして、事件解決のために書かせていただいた。NEUTLALの一員としてこの事件の解決を切に願う。

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