酒鬼薔薇 事件こと神戸連続児童殺傷事件が起きた場所が現在どうなっているのかを探るため,須磨ニュータウンをまわってきた。
酒鬼薔薇 事件が起きた場所をめぐる
酒鬼薔薇 事件の内容
「酒鬼薔薇 事件」こと「神戸連続児童殺傷事件」とは1997年(平成9年)2月 – 5月にかけて兵庫県神戸市須磨区で発生した連続殺傷事件。事件当時14歳の少年が起こした猟奇的な殺人事件は世間に衝撃を与え、少年法の一部が改正されるなどの影響を与えた。
その後、殺人・殺人未遂などの容疑で神戸家裁へ送致され関東医療少年院へ長期収容されたが現在は社会復帰しているが、その後も社会を挑発するような行動が相次いだ事から本当に反省しているかは疑わしい。
酒鬼薔薇事件で首が置かれていた校門
ここが事件現場の神戸市立友が丘中学校。
場所:兵庫県神戸市須磨区友が丘7丁目283−1
1979年設立の男女共学の公立中学校で,何の変哲もない普通の中学校だ。
小学生の頭部が置かれていた校門前。1997年の5月27日、正門の鉄扉の中央付近に顔を道路側に向けて置かれていたのだが、酒鬼薔薇はこの時の光景を「作品」とよんでいたという。
犠牲になったのは放射線医師の土師守さんの息子・土師淳くん。酒鬼薔薇とは顔見知りで,淳くんが興味をもっていたカメを口実に誘い出し殺害したのだった。
現場周辺にある坂道を登ると全景が伺える小高い丘がある。
殺害現場である通称タンク山はこの中学校から近い場所にある。
殺害現場のタンク山
これが殺害現場のタンク山だ。須磨区友が丘9丁目22番地にあるケーブルテレビ受信施設で、酒鬼薔薇は放課後にはこのタンク山へ登り昼寝をする事が多かった。
場所:兵庫県神戸市須磨区友が丘9丁目
タンク山への近道である通称「チョコレート階段」
現在は封鎖され立ち入り禁止に。
頂上に登るための坂道自体は現在も残されている。
頂上からは須磨ニュータウンを一望できるのだが,画面中央に中学校のグラウンドが写っている。こうして見ると、事件はいずれも近隣で起きたものであることが分かる。
まるでセカイ系小説の様に極めて限定された空間のなかで、このような猟奇的な殺人事件が起きたということが事件の異常性と,犯人の幼稚さを示しているかの様だ。
切断器具処分現場の向畑ノ池
この向畑ノ池が被害者の遺体を切断した器具を捨てた場所だ。友が丘中学校とタンク山からも近く、いかにも中学生の生活圏内らしい近さだ。
釣り堀にでもなっているのか、現場では釣りに興じる御老人たちの姿が目立った。
ここに3月の通り魔事件と2月の殴打事件に使われた金槌2本と細刃のナイフを投げ捨てた訳か。
近隣には防犯カメラが設置されている。もっと全国的に普及してほしいものだ。
酒鬼薔薇事件 その後
当時14歳の少年が起こした猟奇殺人事件は88年の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」以来の衝撃を世間に与え、少年法の是非について議論される事になった。
その後、成人した酒鬼薔薇は医療少年院を退所し東京都内の花畑付近にある団地にて生活を続けていたが2015年に32歳となった元少年が手記『絶歌 神戸連続児童殺傷事件』を太田出版から刊行。ホームページも開設したが、そこには被害者遺族への謝罪や事件に対する反省の記述はなく、自身を本物の〈異端〉として特別視した自己顕示欲だけが目立つ異様なものだった。
翌年には週刊文春が都内に住むAに取材を申し込んだところ突然激昂し逃げる記者を何度も追いかけたという。
現在の少年Aは40代、一部メディアの報道によると結婚し家庭を持っているとの噂がある。
なお、2022年に神戸家庭裁判所は当時の事件記録をすべて廃棄してしまっている。
通常、少年事件の捜査書類などは少年が26歳になるまで保存が定められているが、最高裁の内規では史料的価値が高い場合や社会の耳目を集めた事件は永久保存を義務付けている。
にも関わらず、神戸家庭裁判所は廃棄した時期や経緯は分からないとした上で重要書類を処分してしまったのだった。
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