将軍塚,京都の始まりの場所

将軍塚は京都が始まった場所でもあり、初代征夷大将軍の坂上田村麻呂の墓所と伝わる。また、国家の有事には不気味に鳴動するという言い伝えが残っている。

坂上田村麻呂の墓所と伝わる将軍塚.

将軍塚の不気味な伝説

坂上田村麻呂の墓所と伝わる将軍塚は8世紀末に平安京の造営に際して、都の守護を目的として桓武天皇が作らせた塚だ。

塚の中には、武装した高さ約2・4メートルの土製の人形が埋められている事から、坂上田村麻呂の墓であるとの伝説もある。

一説には、この塚は国家鎮護を目的として作られたという。都に異変が起こるときにはその前兆として不気味に鳴動するという。

これが将軍塚。国家の有事の際には塚全体が鳴り響くとされる

最初の鳴動は保元元年(1156)だったと伝えられている。将軍塚がしきりに鳴り響いた、その数日後に保元の乱が勃発。

青龍殿からの眺め。京都市内を一望できる。

皇位継承問題や摂関家の内紛により、後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれ、衝突に至った政変。
この争いによって、後の武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。


また、この事件によって嵯峨天皇の時代以来、約340年ぶりに死刑が復活することになる。

そして、治承3年(1179)の源平合戦の際には、直前に将軍塚が三度も鳴動したと伝えられている。

こうした伝説から、将軍塚が鳴動することは、不吉の前兆として地元の人々から恐れられている。

アクセス

住所:京都府京都市山科区厨子奥花鳥町28

最寄駅

京都市営地下鉄東西線 蹴上駅
京阪バス将軍塚青龍殿(バス)

駐車場

あり

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