ヤコブ・ベーメ,サン・マルタンと称された神秘主義者

ヤコブ・ベーメとは16世紀ドイツの神秘主義者だ。「イエスに続く第二の光」(サン・マルタン)と称されたその思想はシェリング、ヘーゲルといったドイツ観念論者や、初期ロマン派の詩人たちに多大な影響を与えた事でも知られている。

ヤコブ・ベーメ,サン・マルタンと称された神秘主義者

ヤコブ・ベーメとは何をした人物か?

・16世紀ドイツの神秘主義者
・幼少期より数々の神秘を体験する
・自身の神秘体験に基づいた膨大な著作を残す

最初の著作「黎明」

ヤコブ・ベーメはドイツ東南部ゲルリッツ近郊のアルトザイテンベルクの農家に生まれる。
5人兄弟の4番目の子供であったが、体が弱かった事から、農業に従事させず靴職人の道を進ませることにした。

身体が弱かったベーメは少年期から様々な神秘体験を得ていた。
家畜の番をしているときには、薮の中で洞窟と黄金の入った桶を見ては、その神々しい光に囲まれ、7日間最高の瞑想と喜びの日々を送った事があったという。

彼は24歳でマイスターとなり、一家をかまえてゲルリッツで独立するが、ちょうど長男が誕生したころ、再び神秘体験を得る。

これをきっかけに、これまでの神秘体験を記録するべく、12年の歳月をかけ最初の著作『黎明』を完成させる。

敬虔なプロテスタントであったベーメは、聖書よりほかに多くの書物は身近になかった為、その内容はキリスト教の世界観を下敷きにしたものだった。

黎明は個人的な覚え書きとして書かれたものだったが、友人に請われてこれを見せたことから、その写本が次々と作られ、世に知られる事になる。

ルター派との対立

だが、これがルター派の聖職者の目にとまり、即刻、執筆活動の禁止が言い渡されてしまう。

敬虔なキリスト教徒であったベーメはこの指示に従う事は神に対する従順と見なし、6年ほど沈黙を守りつづけた。

しかし、この沈黙によりベーメは更なる使命感に燃える事になる。

職場を売り払って靴職人をやめたベーメは紡ぎ糸や手袋の行商人をしながら、人々の質問に答えていく。
行商の途中でパラケルススなどの神秘主義に影響を受け、あるいは新たな著述を強く奨められたことも手伝って、彼はふたたび執筆を開始。

死に至るまでの6年間に驚異的な数の著作を執筆したが、そこでは占星術や錬金術、ユダヤ教の神秘思想などの用語を用いた象徴的で多義的な汎神論が展開されていた。

やがてベーメは「イエスに続く第二の光」(サン・マルタン)と称され、その思想はシェリング、ヘーゲルといったドイツ観念論者や、初期ロマン派の詩人たちに多大な影響を与えることになる。

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