中世にパラレルワールド論を展開したのがジョルダーノ・ブルーノだ。巷には織田信長説なんてトンデモ論もある。
ブルーノは多くの著作を残した思想家だが、彼の無限宇宙論は非正統的として異端視された。
ジョルダーノ・ブルーノ,無限宇宙論を主張し火刑にされた修道士
ジョルダーノ・ブルーノとは何をした人物か?
・イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士
・無限宇宙論を主張し火刑にされる
・ジョルダーノ・ブルーノ=織田信長説
ジョルダーノの経歴
1548年、ナポリ王国のノーラ(現在のイタリア・カンパニア州)で生まれ。
もともとはフィリッポ・ブルーノ (Filippo Bruno) という名前であり、父ジョヴァンニ・ブルーノは兵士であった。
1562年、14歳のときナポリに移り、ナポリ大学で学んだ。1565年、17歳でドミニコ会に入会し、このときからジョルダーノを名乗った。
1572年に司祭に叙階され、1575年にはトマス・アクィナスおよびペトルス・ロンバルドゥスについての論文が評価され神学博士となった。
ナポリ時代には熱心な研究生活をおくり、プラトンおよび新プラトン主義、ピュタゴラス主義やセネカといった古代哲学、カバラなど多岐にわたり、すでに独自の思想を育みはじめていた。
無限宇宙論
ジョルダーノ・ブルーノの無限宇宙論は、コペルニクスの地動説とニコラウス・クザーヌスの無限論を基本にしたもの。
コペルニクスは、キリスト教の伝統に則って宇宙を有限なものと考えていたが、ブルーノはこれを否定し、さらに無限の宇宙のなかに無限に多くの世界があると考えた。
この考えは、現代宇宙論の土台を築くことになり、彼にとっては世界そのものが無限なものであり、世界はもはや神の模像ではなく、神にとって代わるものとなると考えた。
異端認定
ところが、ブルーノの主張は、無限なる神の創った世界を有限とする聖書の基本思想に反していた為、教会から異端として睨まれることになる。
当時は、カトリックとプロテスタント両教会の対抗のもと、全ヨーロッパ的な規模で宗教戦争が展開されていた。
中世以来、異端審問がもっとも厳しく行われたのはこの時期だったのである。
イタリアでは直接の戦争がなかったが、神学的見解の検閲や抑圧があり、異端者は国家に対する犯罪者とも見なされた。
異端審問所から召喚命令を受けたブルーノだが、これによりドミニコ会の修道院から脱走。
その後は流浪の生活を送りながら、旺盛に執筆活動を行なった。
彼はまた、フィチーノやアグリッパから影響も受けていたことから、『魔術論』で9種類の魔術の分類を行っていた。
教会が比較的寛容な態度を示している自然魔術の形式と、教会が断罪する魔術の形式を区別する試みもなされていたが、魔術に関する微妙にからみあった議論は、当時さかんに行われており、ブルーノの場合も例外ではなかったということができる。
しかし、長い遍歴の後、ヴェネチアの貴族ジョヴァンニ・モチェニーゴの招待を受けるが密告され、1600年にカンポ・デ・フィオーレ広場で生きながら焚き殺された。
ジョルダーノ・ブルーノ=織田信長説
なお、巷では織田信長とジョルダーノ・ブルーノを同一人物とする説もある。
根拠としては、顔立ちが何となくにていること、名前がアナグラムになっていること、ほぼ同時代の人物である事などが挙げられるが、正直言って眉唾である。