五条大橋から南は六条河原と呼ばれ明治期まで処刑場として使われた。石田三成や小西行長らが処刑された場所としても有名。
京都の処刑場跡,六条河原
六条河原とは
十念ヶ辻から東へ進み、五条大橋を渡り四条を過ぎると寂しげな場所がみえてくる。
六条河原は平安期から明治初期まで処刑場として使われ、古くは保元元年(1156)の保元の乱で
敗れた源為義や平忠正らが処刑されている。
その後も平治の乱、治承・寿永の乱、本能寺の変、関ヶ原と多くの事件においてその反逆者が六条河原で処刑された。
処刑されたのは武将だけではなく、河原近くには、徳川秀忠によってキリスト教徒も火あぶりにされ、付近には石碑が建てられている。
六条河原はこんな人におすすめ
・昼間でも行ける京都の心霊スポットに行きたい
・ダークな史跡を訪れたい
・処刑場跡に興味がある
・石田三成や小西行長が処刑された場所に行きたい
住所
住所:五条大橋から正面橋鴨川のあたり。清水五条駅を降りて鴨川沿いに西橋町方面へ進んでいく。
最寄駅
京阪電気鉄道京阪本線 清水五条駅
六条河原の見どころ
この六条河原では古来から有名な武将たちが数多く処刑された場所。
保元の乱では源為義・平忠正、平治の乱では源義平・藤原信頼、治承・寿永の乱(源平合戦)では平能宗・藤原忠清。
関ヶ原の戦いにおける石田三成・小西行長・安国寺恵瓊、大坂の陣では長宗我部盛親や豊臣国松らなど、著名な武将や政治家がここで最期を迎えている。