早良親王はじめ八柱の怨霊を鎮める上御霊神社

幸神社から北西にある上御霊神社。この神社は早良親王をはじめとする八柱の怨霊を鎮める役割を担っている(御霊信仰)

早良親王はじめ八柱の怨霊を鎮める上御霊神社

上御霊神社

御霊信仰とは

上御霊神社を理解するために重要なのが「御霊信仰(ごりょうしんこう)」

世に怨みを抱いたまま非業の死をとげた人物や疫病や災害などを神として祀ることで、ご利益を得るという考え方。関東圏で有名なものと言えば、徳川家康が江戸鎮守のために平将門を祀ったというのが有名だが、京都にもこの様な場所は多い。

と、言うよりも京都のほうが多い。

上御霊神社に祀られている怨霊

上御霊神社に祀られている八柱は八所御霊とも呼ばれており、一種の怨霊・祟り神扱いされている側面もある。

早良親王と上御霊神社

早良親王はこの神社の創建に深く関わっている。

早良親王は、長岡京造営の際に起こった要人暗殺事件の冤罪を着せられたが、これに対し、親王は食を絶ち無実を訴えるも、幽閉され亡くなってしまう。

この直後から、京都に疫病や天変地異、天皇の近親者が次々に亡くなるという祟りが起こる。

これを呪いであると信じた桓武天皇は、平安京への遷都を決定。

この地に親王の霊を手厚く祀るための神社を建てたとされている。

なお、この上御霊神社から南西に進んだ場所のあるのが日本三大怨霊の一角・崇徳上皇を祀る白峯神宮だ。

ちなみに上御霊神社という社名は下御霊神社に対応するもの。

井上内親王、他戸親王

難波内親王を呪殺したという嫌疑をかけられ、他戸親王と共に庶人に落とされ幽閉され死亡。

藤原吉子

怨霊として知られる伊予親王の母。藤原氏によって謀反の嫌疑がかけられ、幽閉先で自害。

橘逸勢

遣唐使で三筆の一人。無実の罪を背負って死亡した事から怨霊になったと考えられた。

文室宮田麻呂

謀反の嫌疑をかけられ伊豆へ流罪。

火雷神

日本三大怨霊・菅原道真の別名

吉備真備

怨霊ではないが、日本の陰陽道の祖とも言われ鬼を自在に操ったという伝説がある事から鎮守を目的として祭祀されていると思われる。

アクセス

住所

住所:上御霊神社 〒602-0896 京都府京都市上京区上御霊竪町495番地

最寄駅

京都市営地下鉄烏丸線 鞍馬口駅

拝観時間

午前9時~午後5時まで(季節により変更あり)

上御霊神社 の見どころ

この門は四脚門といって、伏見城のそれを移築したものと伝わっている。伏見城自体が「血天井」の逸話が伝わるものだけに、なかなか考えさせられるものがある。

上御霊の歌碑
御霊合戦の戦傷碑。この合戦が応仁の乱開始の契機となった。この応仁の乱をきっかけに、日本は戦国時代に突入する訳だが、ここが御霊信仰の場であることを考えると因果なものを感じる。

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