ウィリアム・レスター・サフは働くのが嫌いで子供を虐待して過ごしながら売春婦を殺害した人物。
ウィリアム・レスター・サフ働くのが嫌いだから子供を虐待!!
ウィリアム・レスター・サフは1950年、アメリカ・カリフォルニアにて普通の家庭の長男として生まれた。
ところが、彼が13歳の時に、父親が突然、ドラマーを志したことにより生活が困窮してしまう。
父親は酒場のバンドでプレイしながら生計を立てていたが、周囲にはドラッグの売人や犯罪者がうようよする環境だった。
そしてサフが16歳の時、父親が失踪したことで家はさらに貧しくなってしまったのだった。
サフはハイスクールを卒業すると、空軍に入隊し
別の男の子供を孕んだ女の子と結婚(生まれた子は里子に出した)。
だが、1970年に軍を除隊した後は職を転々とする日々。
父親の血を受け継いだのか、彼は働くのが嫌いで、けっきょく、妻が働きに出たのだった。
家でサフは家事をするのでもなく、自分の子供たちを虐待して過ごしていた。そして、子供のひとりを虐待死させてしまうのだった。
この事件で夫婦共に有罪となり、刑務所に入る。
しかし、妻は情状酌量を認められ、短い刑期で釈放され、夫と離婚。
一方のサフは刑務所内で勉強し、大学の学位を所得するほどにまでなる。それが認められ仮釈放になったのだが、決して更生した訳ではなかった。
1988年、サフは売春婦を買い車に乗せると、砂漠に連れだし、暴行してから、ナイフで殺したのだった。
そしてサフは翌年にも売春婦を殺害。
当時のサフはガールフレンドと別れて、ある売春婦を口説いていたのだがフラれた為、八つ当たりの様に別の売春婦に殴る蹴るの暴行を加えた上で絞殺したのだった。
同じ年、サフは18歳のコンビニ店員の女の子と結婚。子供が生まれたのだが、またしても、サフは子供を虐待する。これにより若妻は出ていってしまったのだが、この離婚で彼の理性が壊れたのか、月に1回の割合で、サフは売春婦を殺すようになるのだった。
そして、どういう訳かサフはモテる様で翌年には新たなガールフレンドを得て、倉庫番の職につくのだった。
だが、夜な夜な売春婦を買い殺害する事は止められなかった。
しかも、彼は保安官の制服とハイウェイパトロールの帽子を入手し休日にはそれを着て、二セ保安官をやりながら獲物を物色したのだった。
だが、犯行が大胆になったのが仇となり、1992年にサフは逮捕され死刑判決を受けた。