ケネス・アレン・マクダフ,死刑廃止論を悪用した殺人鬼

ケネス・アレン・マクダフは死刑廃止論により死刑執行が中止され何度も釈放される度に殺人事件を繰り返した凶悪殺人鬼だ。

ケネス・アレン・マクダフ,死刑廃止論を悪用した殺人鬼

1946年、アメリカ・テキサス出身のケネス・アレン・マクダフは
子供の頃から粗暴で、中学卒業後すぐに犯罪者への道を進んでいく。19歳の時には強盗で実刑判決を受けたのだが、約9ヵ月で釈放されるも、その翌年には仲間といっしょに16歳の少女と、15~17歳の少年を誘拐。
男の子たちを銃で殺すと、その死体の側で少女をふたりがかりで暴行、ホウキの柄を喉の奥までつっこんで窒息死させるという残虐性を発揮。

この手口から「箒の殺人鬼」の異名をつけられたのだが、しばらく後に相方が警察に自首。マクダフも逮捕され死刑判決を受けるのだが、当時は死刑制度の是非について世論が慌ただしくなっていた時であった。

そのため死刑の度に執行が中止され、最後にはアメリカ最高裁判所が死刑は違憲だとしたことで、死刑をまぬがれ懲役3年になるという余りにも軽すぎるものだった。

おまけに刑務所ではしょっちゅうトラブルを起こし、囚人たちからも大いに嫌われていた。
にも関わらず、仮釈放委員会の決定により、1989年にマクダフは仮釈放される。

そして釈放されたマクダフは娑婆に出るなり、さっそく売春婦をレイプして殺害するなど、さっそく邪悪さを発揮。
ふたたびマクダフは刑務所に戻されるが、今度は刑務所の囚人超過問題によって仮釈放されるというデタラメさだった。

この時、マクダフは43歳だったが州から出る奨学金で大学に入学。

もちろん、マクダフが勉学に励む訳がなく、ドラッグを乱用しては売春婦を買って遊び回り、またしても売春婦をふたり殺害し逃亡。

更に1991年、ガソリンスタンドの従業員の女性とコンビニ店員の女性を誘拐し、またしても強姦殺人。
死体を採掘場に放置すると、彼はすかさず逃亡したのだった。

マクダフの残忍性だけでなく、アメリカの司法制度にも疑問を抱かざるをえない展開だが、彼を発見することが出来たのは、TV番組『America’s Most Wanted」で取り上げられたことが大きかったとされている。

その後、ようやくマクダフには死刑判決が下された。

そいて、マクダフの一連の事件によって、仮釈放が見直され、規定が厳しくなった事で他の囚人たちから憎しみの目で見られたという。

そして1998年、マクダフは薬物注射で死刑となる。

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